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社会で役立つ勉強と役立たない勉強ってそんな簡単に分けられる?

ポータルサイトを眺めていたらこんな記事を発見。

「漢文は社会で役に立たない」と切り捨てる“意識高い系”の勝ち組へ――2018上半期BEST5 いいね!部門2位

週間文春文芸春秋のオンラインサイトで、2018年上半期の人気記事BEST5を発表しているうちのひとつ。

この記事は『いいね!部門』ですが、他にも鉄道・ライフ・動画スクープなどいくつものジャンルでのBEST5を発表しているようです。

どれもこれもキャッチーなタイトルばかりではありますが、内容は割とマトモなのね。

『文春砲』なんて言われて、芸能人の不倫やお役人のセクハラ暴露のような下世話な記事ばかりだと思っていたのでちょっと見直したわ。




この記事では、このところの大学改革で不要だ切り捨てだと騒がれている、文学や歴史など人文系学問が『役に立たない分野』なのか、ということを漢文を例に取り上げて鋭く反論しています。

きっかけはこんなツイートだそう。

本気で受験勉強して、大学も結構勉強して、大学院でも勉強して、社会人になっても仕事でそれなりに成果出しているという認識を持っていますが古文漢文が役に立った経験は少なくともありませんね。他の学問は役に立ってますが、漢文については眠いときに「春はあけぼの」というくらいしか使ってない


突っ込みどころ満載で瞬時に膨大な反論が押し寄せている様子に、見ているだけでこちらが辛くなる程。

きつい言葉が並ぶのは、少ない文字で書くツイッターでは仕方のないことなのでしょうかね…。

瞬間湯沸かし器のような意見ばかりのツイッターに比べ、この安田峰俊氏の『あえて「ビジネスシーンで役立つ漢文」を考えてみた』という文章は、ご自分の経験からや具体例が淡々と並んでいるのがなかなか面白かったです。


特に

 例えばラテン語とその古典文学が西欧諸語やその文化圏の基層にあるのと同じく、漢文や中国古典は日本語や日本文化の成立に密接に関係した構成要素である。これらの基礎的な知識は、日本人として自立した思考をおこなえる個人を育成する上で重要であり、リベラルアーツの一環として公教育で教えられるべきだ――。



という部分。

古文漢文に限ったことではなく、勉強って小中学校で習う内容以外では、社会で直接的に役立つことなんてほとんどないよね。

数学だって化学や物理だって、アボガドロ数だのドップラー効果なんて知っていたところで大半の人にとっては一生何の役にも立たないのは確か。

でも、こういうことを勉強しながら論理的なものの考え方や思考力を鍛えるのが、全く違う場面で役に立ったりするのよ。

高校、ましてや大学に求めるのは『学問』とか『リベラルアーツ』といった〜長い目で見たときに役に立つものではないかしら。

もしもこういう一見何の役にも立たないようなことをやる人がいなくなってしまったら、日本という国がは100年後200年後になくなってしまうかな…と。

たぶん自分たちの言葉も文化も失い、どこかの国の属国になってしまうでしょうね。



目に見えないものほど大切なんだよね、というのはサン・テグジュペリのことばだったかな?…。