電車通学をしてる上の子が、先日こんな話をしていました。
『混んでいる車内で、自分が座っている隣にカバン置いて平気な人が多いのって何でだろうね!』
その日は午後4時〜6時くらいの、ギュウギュウではないけれど立っている人もほどほどにいる車内。
座席に座っていたら、ちょっと足が不自由そうな方が乗ってきたのでうちの子は自然に席を譲って立っていたのだそうです。
そしたら次に年配のご婦人が乗車してきて、揺れる車内で座れる場所を探している様子が明らかなのに、その場の学生達は座席にカバンを置いたまま知らんぷり。
その日に限ったことではなく、車内放送でも荷物は膝の上か網棚に乗せるよう頻繁に注意を促しているそうです。
ローカル線のボックス席なので心理的に、『隣に他人が座るのイヤ!』という無言のアピールなのでしょうかね。
自分が奥側に入るのがイヤなので通路側に座り、かつ狭い膝先を他人が通って自分の奥に入るのもイヤなのでしょう。
『荷物さえどけてもらえれば座れるのにな〜』と思ってもイヤホンで音楽を聴いている人に『そこの荷物どけてもらえる?』とお願いするのはかなりハードル高いですよね。
最近はホームや車内のベンチシートでも座席が1人分ずつ仕切られていることが多いですが、それって他人との境界線を作ると同時に『荷物で席を占領しないで下さい』という鉄道会社からのメッセージもあるのかしら?
見知らぬ人と隣り合わせに座ることへの抵抗が、昔とは比べ物にはならないほど強くなっていることに驚いています。
仲間内では異常なほど強い『つながり』を求めるのに、共通項のない人に対しては激しい拒否アピール。排他的で多様性を認めないことが、ヘイトスピーチやネット上での恐ろしいまでの攻撃の根っこにあるのでしょうか。
そういう社会って暮らしにくくて嫌だなあ…。
他人への無関心、人の気持ちへの想像力のなさは負のスパイラルで膨らみます。めぐりめぐって自分の首を絞めることになるのではないでしょうか?
もちろん逆も然りですけどね。
そのあたりのことって家庭や学校の教育の中で幼い頃から培われるべき感覚だと思うのですが、親世代にとっても難しいことになっているのかもしれません。
『お互い様』とか『大変なことは少しづつシェアしましょう』という空気は10年ほど前に比べると確実に薄くなっていて、いろいろな役員を決める場面で『どうしたら自分が得出来るか』に腐心する親が増えていると感じているからです。
各人の状況にはお構いなしで、初めて入学した新人ママさんも2人目3人目入学のベテランママさんも同じ条件で『くじ引き』で役員を決めることも多くなっています。これを『くじ引き(またはじゃんけん)なら平等だものね』という無神経さ。
上の子が小学校に入学した頃は、そんなことなかったのですよ。慣れている方が大変なことを引き受けてくれる分、その他の人は『自分も出来る限りお手伝いしよう』とい雰囲気がありましたし、自分が慣れてきたら、次は新人ママさんにハードル高そうなことを積極的に引き受けるようにしたものです。
ところが最近は、当然やるべき位置にいる人が率先して逃げの姿勢。
見かねて『じゃあ、それは私が引き受けます』なんて言おうものなら『あの人は好きでやっているのよ』とか『最後は◯◯さんがが引き受けてくれるから大丈夫よ』と周りまで巻き混む始末です。さっさと逃げを決め込む人はいつだって同じ、そして引き受ける人もいつも同じ。
そういうことが続くと、『お互い様だから』と負担してくれている人だって次第に疲れてばからしくなってしまうんですよね…。そうなってくるとますます面倒なことは押し付け合うという悪循環。
来年度の地区役員やPTA役員の心配をするような時期が近づいているせいか、電車内の若者の姿にビックリポン!な話が最後は愚痴になってしまいました。
自分が気持ちよく暮らすためにも、周りのみんながニコニコできる世の中にしましょうよ!。