<当サイトには広告リンクが含まれています>

当サイトはアフィリエイトプログラムを利用しており、記事中に商品のPRや広告が含まれることがあります。また、サイト内に楽天市場・Amazon・GoogleAdsence等の広告バナーが表示されます。これらのリンクを経由して商品・サービスを購入されると、運営者LEEは提携企業から広告報酬を受け取ることがあります。

本を読む人だけが手にするもの【読書メモ】



民間出身校長として、都立和田中学校の校長を務めた藤原和博さんの著書です。独自の教育観から『よのなか科』を設けたことで有名な方ですよね。

本を読むことはなぜ大切なのかということを、ご自身の体験から分かりやすく書かれています。

分かりやすく言い切ることを重視しているせいか『そう単純でもないのでは?』と思う部分もあったのですが、全体的には自分がいつももやもやと感じていることをはっきりと言葉にしてもらった感があります。


ひとつめは、自分が能動的に脳を働かすということ。
テレビのように映像で直接的に情報をとりいれるのとは異なり、読書は文字から得た情報を自分なりに処理し、もともと持っている脳内の情報と組合わせることで何かしらのイメージを形作る行為であるため想像力が刺激されるのですね。

想像力が豊かであるかどうかが社会生活の質を大きく左右すると私自身常々感じています。円滑な人間関係のためにももちろん必要でしょうが、想像力が豊ということは多角的な見方ができ柔軟な考え方ができるということ。この力の有無が、生きて行く中でぶつかる様々な困難をいかに上手に乗り越え幸せな人生を送れるかを左右しているのではないかしら。

世の中で問題になっていることの多くは想像力の欠如によるのでは?と思わされるほどですから、その点で読書のもつ意義はとても大きいと感じます。



ふたつめは、他人の経験を自分にとりこめるということ。
藤原さんは『他人の脳のかけらを自分につなげる』という言葉を使っているのですが、自分が経験できることには限界があるけれど、本を読むことでその本を書いた人の経験や研究の結果を自分の脳に『拡張』することができると表現しています。

もちろん読む側の経験値や知識レベルによっては上手に受け入れることができない本もあるけれど、それでも沢山の読書経験を積んでいるうちに受容する能力も変化するので、とにかくいろいろなジャンルの本を読むことが大事だと。

そして三つ目に、読むだけでなく何かしらのアウトプットをすることで、自分の考えがクリアになってくるということ。

アウトプットを意識することで、読んでいる最中も集中力を切らさず意味ある読書になるという利点も挙げています。また感じたことを他人に伝えられるような形にする過程で、単なる感想が意見になり、さらに何度も反芻するうちに論理的な整合性が深まってくるというのが何よりの効能。

私自身、子どもに読書感想文を書かせる意義がまさにその点にあるのではないかと常々感じていたので「なるほど」と思わされました。


これまでの成長型の社会においては、単に知識を仕入れ、どれだけ早く正解にたどり着けるか(情報処理力)が大事だったのに対し、これからの成熟社会では持っている知識や技術を組み合わせて「納得解」を導く力(情報編集力)が必要とされるというのも然り。


脱詰め込み教育の結果目指していたものは、こういうことだったはずだと思うのですが、世の中はどんどん反対の方向に動いているような気がしてなりません。

子供たちを見ていると、うわべだけの膨大な情報にふりまわされて溺れそうになっているように見えます。大人はもちろん、頭や心が軟らかい子どもにこそ読書が大切なんだと痛感します。



巻末には藤原さんの「これだけは読んで欲しい50冊」がその理由とともにリストアップされています。元リクルート社の営業マンというだけにビジネスパーソン向けのものが多いですが、教育関係も多数あり。

私が気になったのは、学校の歴史の時間にはあまり習わない現代史関係。戦前戦後のどさくさについての知識ってどうしても断片的で、すごく大事なはずなのに何も知らないというのを最近痛切に感じているので、紹介されているこちら↓は是非読んでみたいです。

とはいえ各巻500〜600ページというのは相当なボリュームですね…。








コメント

  1. 高橋二葉 より:

    LEEちゃんこんにちは!
    母親の影響か幼少期から私も兄も本が好きで、よく図書館に行っていました。
    幼少期、思春期いろいろな疑問や辛さにヒントをくれたのはまさしく本でした。
    耕也君は、マニュアル本や実用書などは時々読みますが、基本的には本は好きな方ではなく、特に小説などは昔から批判的で、お付き合いしているときはそのことで喧嘩にも発展したほどです。
    彼はよく昔から、機能しない家族で毒親に育てられたというようなことを言っていますが、私は20年以上もの間その愚痴を聞かされてきたわけです。
    その機能しない家族が原因かはわかりませんが、生きづらさを感じて苦悩している彼を見ていると、もしかしたら、少しでも幅広く本を読む習慣があったら少しは救われたのではないかと思っています。
    なぜ強くそう思うか、最近下の子は本を読み漁り、時々逆に私にも勧め感想を言い合ったりしています。彼はいつも人間関係でつまずき今まで苦悩してきましたが、本を読むことで、現実世界では到底得られない考えの広さがあるということを学んでいる気がするのです。
    私も本の感想やそれについての自分の考えなど人と話す事がとても楽しいんです。
    今度LEEちゃんとあったら一日そんな話をしてみたいなと思っています。

    • LEE より:

      二葉ちゃんコメントありがとう!
      私達世代の幼少期に、親子で気軽に行ける図書館が身近にあったとは良い環境に住んでいたね!日本で図書館が一般市民に身近になりはじめたのは1960年代なんだよ。そして何よりも子供たちを図書館に連れて行ってくれたお母さん、素晴らしい!

      二葉ちゃんが耕也さんを丸ごと受け止められるしなやかさとフトコロの広さを持っていることにいつも驚いていたのだけれど、その話を聞いて妙に納得しちゃったよ。創ちゃんも本好きなんだね、心のよりどころがあるって幸せなことだと思う。耕也さんも成長の過程で本の助けを借りることができていたらもっと楽に生きることが出来ていたかもしれないね。私達が小中学生の時代、特に田舎では本に触れる機会はあまりなかったろうから仕方がないのだけどちょっと残念。

      田舎で暮らしていると、価値観の多様性が乏しくて愕然とすることが多くない?。
      昔のように狭い生活圏と小さなコミュニティーの中だけで一生終わるのならばそれでも良かったのだろうけれど、そこに自分の快適な居場所を見つけられないとき、他の価値観や広い世界が存在していることを知っているのと知らないのとでは大違いだと思う。

      我家でも、できるだけ子供たちに広い世界の存在を知って欲しいのだけど実生活ではなかなか体験させてやれくてね。だからこそせめて本には沢山触れて欲しいんだけどねえ…。

      なかなか親の思うようにはいかないわ。

  2. さくらママ より:

    初めまして。
    タイトルに食いついちゃいました!

    私も本はよく読む方だと思いますが、読み始めたのは高校生の頃からです。
    夢と希望いっぱいの思春期真っ最中に、失明宣告をされたことで
    もっといろいろな世界を知りたい!と思って、本を手にしました。
    母には、きつく注意されましたが、時間がない!!との思いから、高校時代600冊以上の本を読み漁りました。
    そこで感じたことは、本は時空を超えて世界を旅できるということです。
    会えるはずのない人に出会い、考えや生き方、文化を知り未来をも見ることができる本は凄い!
    そんな出会いから還暦前になった今も、本と語り合っていますよ!

    • LEE より:

      さくらママさん、初めまして。
      コメントありがとうございます。

      若くて多感な時期に失明宣告をされたとは、さぞ辛い思いをされたことでしょうね。
      そのような状況を容易に想像することはできませんが、私も視覚を失うとしたら本を、聴覚を失うとしたら音楽をできるだけたくさん手にすると思います。

      『本は時空を超えて世界を旅できる』『会えるはずのない人に出会い、考えや生き方、文化を知り未来をも見ることができる』という言葉、素敵です。

      白状してしまえば、私自身はあまり読書家というわけではありません。それでも本と触れ合うこと(特に幼い時期に)の素晴らしさだけは切実に感じるのです。幼少の頃、頼んだわけでもないのに子供たちに本を買ってくる父に、母は『大して読みもしないのに…』とぶつぶつ言っていたものです。そのときに『今すぐに読むかどうかは関係ない。いつでも手にとれることが大事なんだ』と言ったことが私の深いところにずっと残っているのかもしれません。

      自分の読書メモ的に残している拙い記事ですが、コメントを頂いてとても嬉しく思っています。機会がありましたら是非またお立ち寄り下さいね。

  3. 高橋二葉 より:

    LEEちゃんおはようございます!
    しつこくコメント入れてしまうけど忙しかったらさら~っと流してくださいね。
    正直、この1~2年は私なりに結構つらい時期でした。
    LEEちゃんが言うように、田舎の世界の狭さを含め、仕事や金銭的なこといろいろと。朝起きると死んだら楽になるだろうかってとんでもないこと考えて、こんなこと初めてでした。
    それでも、幼い頃からですが、挫折したり行き詰った時、最終的には何か本を探していたと思うのです。
    LEEちゃんが言うように本は、時空を超えて旅ができたり、いろいろな文化や考えを知ったり、生きるヒントをくれたりと哲学的でもあると思うんです。
    結局生きていると、一概には言えませんが、人は知らずうちに哲学的なことなしには生きられないのかなとも思います。
    特にこれからは、身近な人との別れが増えてくる年代に入りました。
    そんな時、自分なりに乗り越える術もほしい。
    その一つが本でもあるんですよね。
    もう一つこのLEEちゃんと語る場所も、居場所の一つとして長く続けられたらと思っています。
    LEEちゃんこれからもよろしくね~

    • LEE より:

      ホントだよね。
      宗教や哲学って人が生きるために必然的にうまれてきたものだと思うし、辛いときや悩んだ時に考えていることって自分で意識しなくても哲学なんだと思う。

      1〜2年前か…。
      どん底にいる時は誰かに話す気にもなれないのかもしれないけれど、読むだけ・聞くだけでよかったらいつでも連絡ちょうだいね。