『おばちゃんだから』って言い訳。当たっているだけに慎しまなくちゃ。

この歳になると、仕事の手順やシステムの扱いなど覚えても覚えても忘れちゃうことが多いです。
 
覚えたつもりでも、テンパってるときなどに確認事項をスポーンと抜かしちゃったりね。
 
 
 
そんな時についつい口にしてしまう『おばちゃんだから〜』。
 
 
 
覚えが悪いことやうっかりミスを起こした自分への言い訳というか開き直りの枕詞なんですよね。
 
 
こう言われちゃったら若い子は何も言えなくなっちゃうよね。
 
本当に気をつけて欲しかったり『こうするといいよ』的なアドバイスをしてくれようとしているのに、口をつぐませてしまっているかも…。
 
ということにハタと気がつき反省中。
 
 
 
数年前にこのアルバイトを始めた時、『歳だから….(忘れやすくて)』『おばちゃんだから….(できない・知らない)』という言い訳めいたことばを吐かないようにとキツく自分に言い聞かせていたはずなの。
 
 
 
 
ところがですね…。
 
人のせいにするのはよくないと思うのだけど、頻繁にそれを口にする同世代の方と最近一緒に仕事をすることが増えてしまって。
 
 
ついつい調子を合わせてしまっている自分に反省。
 
 
おばちゃんだろうがなんだろうが、うっかりミスや覚えられないことから逃げないのは大事。仕事ですから。
 
謝る時につまらない言い訳をくっつけないのも大事ね。おばちゃんに限らないけど。
 
 
 
 
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身内のことを話すとき、なんて呼ぶ?

家族の中での会話ではなく『対外的に』です。
 
 
 
同窓会や子どもの学校の面談、職場でのおしゃべりなど、ちょっと距離のある人との会話で私が一瞬迷うのが配偶者を話題にするときね。
 
 
 
ブログを読んでいる方はご存知と思いますが、私は大抵の場合『夫(オット)』を使います。親しい友だちやご近所同世代の面々で井戸端会議といったブロークンな場面では『旦那(ダンナ)』を使っちゃう時もあります。
 
職場の同僚やマダムな友人は『主人』と呼ぶケースがほとんど。
 
私は使えないのよね、コレ。
 
オットが『主人』てガラじゃあないのでね。
 
 
ごく稀に使うとすれば、あらたまった場でかなり目上の方とお話しするような時。
 
自分から相手に向かって『ご主人は〜〜〜?』のように使うのは全く抵抗ありませんが、親しい友だちには『だんなサマは今日は?』とか、名字やファーストネームで『○○さん』のように使うことが多いです。
 
オットも外では『妻(ツマ)』『ウチの奥さん』、親しい友だち同士なら『LEEちゃん』、と使い分けているようです。
 
 
 
 
身内の呼び方で最近気になっているのが『嫁(ヨメ)』という言葉。若い男性たちが奥様のことを『ヨメが…』というの多いですよね。
 
私と同世代の男の人が使うのはあまり耳にしないのにね。
 
 
 
 
若い男性の間で使われる『ヨメ』は家制度としての『嫁』とは少し違うニュアンス。
 
私のまわりでは下の子の同級生のパパママ達世代(私のひとまわりくらい下かな)がよく使うの。
 
『お子さんの送迎は?』という質問に『ああ、今日はヨメが送っていきました』のように。
 
芸能人、特にお笑いジャンルの男性が使うことが多いのでその影響でしょうかね。
 
なんだかパートナーを下に見ているニュアンスを感じて引っかかるんだよね。
 
お笑い芸人さんはそれもひっくるめてのイメージ戦略なのかな。
 
もしスマートなイメージで売っている俳優さんが使ったら、がっかりだなあ。
 
 
若い方にとって『妻』や『家内』が使いづらいのなら、せめて『奥サン』のほうが私は好ましく感じるのだけどね。
 
 
 
 
 
 
そしてこの『嫁(ヨメ)』という呼び方、最も引っかかるのは自分と同世代の女性が息子さんの配偶者に対して使うとき。
 
 
『息子のお嫁さんがね…』にそれほど抵抗は感じないのだけど、『嫁』って呼び捨てるのは上から目線に感じると言うか…。
 
厳しいお姑さんなのかなあ、とか、自分の所有物と思ってる?…という印象。
 
 
80〜90歳の親世代が使うのは仕方ないけど、自分の友だちが息子さん家族の話題をする中で『嫁が』って言ったら、『息子さん家族とうまくいってないのかしら?』と思っちゃうね、きっと。
 
 
 
私のまわりでは今のところ『息子のお嫁さん』が多数派。田舎の同居家族だったりすると『うちの嫁ちゃん』なんていうパターンもあり。
 
『ヨメ』と言い切る人には出会ったことがありません。
 
 
 
娘さんだと『娘の旦那さん』でしょうか。『ムコどの』もいますね。
 
 
あとは『息子のお嫁さん、○○さんていうんだけどね』と前置きしてから、会話の中でずっと『○○さん』を通すこともありますね。
 
 
家制度はなくなって時間が経ったからこそ、妻・息子・娘ということばと同じように『嫁』や『婿』を気軽に使える時代になっているということなのかしら。
 
 
 
それとも、私が『嫁』ということばに強く反応し過ぎなのかなあ。
 
 
 
みなさんはどう思いますか?
 
 
 
 
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今の日本、不安なことばかり。

アーティストの表現というのはとても個人的な作業だと思っています。
 
自分の心の中を絵・造形・音楽・文学・書…..などの形で表出した結果が、作品となって私たちの目の前にあらわれている。
 
だから作品の良い・悪いなんてことを誰かが判断するものではなく、見る人の好きか嫌いかしかないと思うの。
 
まさに見る側の価値観の問題。
 
 
そういう考え方をしない人って世の中には大勢いるんだなあと最近思うことが増えました。
 
 
今回の『表現の不自由展』については、少女像展示に強く反応した一部の人や政治家の発言のせいで、津田ディレクターが反日のプロパガンダしているみたいに言われちゃってるけど、それ違うよね。
 
展示の主旨としては、開催概要にもあるように個々の作品が関わる歴史的事件への賛否を問うものではなく『表現することすら許されない』という事象について皆で考えてみようというものだったはず。
 
【『表現の不自由展・その後』 ごあいさつ】 2019年8月表現の不自由展 実行委員会
 
【「表現の不自由展・その後」について津田大介芸術監督が会見を行った際に配布したステートメント 2019.8.2】
 
 
2015年に行った『表現の不自由展』から5年経った今の現状について考えてみようということですが、良くなるどころか後退したことがはっきりしちゃったね。
 
過去に何らかの圧力で公的な施設で展示できなかった作品群を扱うと決めた時点で、津田ディレクターも実行委員会も相当のリスクは覚悟したでしょう。
 
それでも、今のタイミングで世の中に問うてみるという判断は結果的に正解だったんだよね。皮肉だけど。
 
何らかの圧力で展示できなかった過去の表現について、どのような経緯や意見があったのかを知りたいと私は思うし、いろいろな意見を聞いて自分でも考えを深めてみたい。
 
 
 
水戸芸術館の現代アートの展示を見に行くようになってから、作品の善し悪しを論じるのではなく、皆が作品をきっかけに考えて議論するという現代アートの考え方はとてもいいことなんだなあと思うようになったの。
 
はじめはそういう美術展のあり方がなかなか理解できなかったけどね。
 
 
 
今の自分の気持ちとしては
 
市や県の承認も経て開催されているのに行政は守ってくれなかったんだな..とか
 
物事のほとんどは白黒はっきりさせられないグレーなものばかりなのに、それを認めず自分の主張だけを通したい人が多いんだな….とか
 
話し合いではなく脅迫で解決しようとする人に負けてしまったのね….とか
 
政治家など権力を持つ人が人事や予算をちらつかせて個人の表現活動に口を出したら最早民主国家じゃないでしょ…とか
 
 
ガッカリ感というのが一番なのかな。
 
 
 
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『表現の不自由』について考える場を奪われてしまった。

あいちトリエンナーレでの『表現の不自由展』が中止になった件。
 
再びこういうことが起こる国になってしまったのか日本は…と愕然としています。
 
この件について自分の想いを書こうと思っていたのですが、考えをゆっくり言葉にする余裕がなく日が過ぎております。
 
政治家達の『検閲』に限りなく近いことばや態度。
 
少なくとも一部分の過激な人達の圧力からこの展示を守る姿勢がない時点で同じことだと思っています。
 
アーティスト達はどんなに悔しい思いをしていることでしょう。
 
京アニの事件があった直後ですから、ガソリン放火を連想させる脅迫に敏感になるのも無理からぬこと。
 
スタッフの安全も脅かされ事務局が対応に疲弊し切ってしまい、来場者を危険に巻込むような脅迫を無視できないということで苦渋の判断だったと思います。
 
 
 
この件について、茂木健一郎さんの発言に激しく共感。
 
連続ツイートブログで素晴らしい内容を連日投稿されているので、まとめておきます。
 
 
【あいちトリエンナーレの『表現の不自由展』の『少女像』を見て、あれこれと感じ、考えればいい】2019/8/2
 
【文脈だけで作品を決めていいのならば、美術展をやる意味はない】2019/8/3
 
【日本が尊敬され敬愛される国であるためにも、少女像の展示は続けた方がよかった】2019/8/4
 
【アートの批評性は、長い時間をかけて熟成しないとわからない】2019/8/6
 
【統計と同化圧力で形成される多数派はまどろんでいればいい】2019/8/7
 
 
 
 
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間違いは誰にもあることだけど、これは酷すぎる。

思い込みって本当におそろしい。
 
【タクシー窃盗、誤認逮捕 ドラレコ映像「犯人に似てる」】

県警は「似ているからこの人が犯人」と思い込み、裏付け捜査が不十分だったと説明。犯行時の服などの物証や被害品は誤認逮捕された女性の身辺から見つからず、映像に映っていた同乗者3人についても特定できていなかったという。  2019.7.25 朝日デジタルより引用

 
 
逮捕の決め手もいい加減だし、取り調べも酷いものだったようです。
 
同じ年頃のこどもを持つ親として人ごととは思えません。
 
刑事さんというのは、血も涙もないんかね。
 
自分の勘違いでどれほどの苦痛を与えたかよーく考えて欲しいわ。
 
しかも『朝日新聞の取材に対し、県警は「自白を強要するような違法な取り調べがなされたとは認識していない」とコメントした。』そうですよ。
 
政治家もそうだけど、権力を持つと自分の身を振り返ることができなくなるんだね。
 
 
 
あまりにも腹が立つので、誤認逮捕された女性が公表した手記をちょっと長いけど引用しておきます。
 
【取り調べ「記憶ない?二重人格?」 誤認逮捕女性が手記】

 松山市内の路上でタクシー内から現金などが盗まれた窃盗事件に絡み、市内の20代女性が愛媛県警に誤認逮捕された事案で、この女性が1日、取り調べの状況や逮捕時の心情をつづった手記を弁護士を通じて公表した。全文は次の通り(表記は原文のまま)。
 
 
     ◇     ◇     ◇
 
 今年1月に松山市内で発生したタクシー内での窃盗事件で私が誤認逮捕された件について、警察や検察からの発表のみでは伝わらない部分も多々あるかと思い、今回コメントを発表させていただきます。
 
 この事件の捜査では、決して適切とは言えない対応を警察から繰り返されました。そのため私は、取り調べが終わるたび、すぐに全てを日記に付けて記録してきました。ドライブレコーダーに写っている女と私が似ていたこと、その女と私が同じアパートに住んでいたことなど悪い偶然が重なり、私が容疑者になってしまうことは仕方がないのかもしれません。しかし、私は一番初めの取り調べから一貫して容疑を否認し、その女と私が別人であることを何度も訴えてきました。にもかかわらず、捜査に関わった刑事全員が私の話に耳を傾けることはありませんでした。
 
 取調官は、私が「本当の犯人を捕まえてください。こんなの何の解決にもならない。」と言えば、「犯人なら目の前にいるけど。」と言い、初めから私を犯人だと決めつけていました。他にも「やってないことを証明できないよね?」「タクシーに乗った記憶ないの?二重人格?」「いつ(自分がやったと)言うのか待ってるんだけど」「罪と向き合え」等、耳を疑うようなことを次から次へと言われました。
 
 また、自白を強要するかのような言葉を執拗に言われました。「就職も決まってるなら大事にしたくないよね?」「君が認めたら終わる話」「こんなに時間のかかるものじゃない」「ごめんなさいをすれば済む話」「懲役刑とか罰金刑とか人それぞれだけど早く認めたほうがいいよ」「認めないからどんどん悪い方へ行ってるよ」「今の状況は自分が認めないからこうなってるんだ」「また取り調べか、とか思ってるんだろう。認めないと終わらないよ」等、挙げればきりがありません。逮捕された後は、弁護人の助言で警察の取り調べに対しては黙秘していたのですが、「弁護士に言われたから黙秘するのではなく自らの意思で話せ」と言われました。
 
 本当に悔しかったです。自分たちが正しいと過信している警察には何を言っても無駄だと気付き、ただひたすら真犯人が出てくることを祈るしかありませんでした。
 
 そもそも、私は取り調べの他にも指紋採取やポリグラフ検査、3D画像の撮影等、全ての任意捜査に素直に応じてきました。朝の10時ごろから夕方17時ごろまでかかることもあり、体力的にも精神的にも辛かったですが、素直に応じました。そうすることで身の潔白を証明できると信じていたからです。
 
 しかし、最後の取り調べから1カ月以上経ってから突然家宅捜索に入られ、そのまま逮捕されてしまいました。幸いにして、勾留請求は認められず釈放されましたが、逮捕直後、もし勾留されたら取調べに耐え切れずにやっていないことを認めてしまうかもしれないという不安な気持ちがあったのも事実です。
 
 誤認逮捕であることが分かった後、警察からは「真相の解明に必要な逮捕だった」と説明を受けましたが、到底納得できるものではありません。3D画像はきちんと解析したのか、ポリグラフ検査の結果はどうだったのかという私からの質問に対しては、はっきりした回答を得ることができませんでした。担当刑事からの直接の謝罪は未だにありません。5月27日から7月19日という期間は私にとってはとても長く、不安、恐怖、怒り、屈辱といった感情が常に襲い、ぴったりと当てはまる言葉が見つからないほど耐え難いものでした。手錠をかけられたときのショックは忘れたいのに忘れることができず、今でも辛いです。
 
 私には前歴・前科もなく、本当に真面目に生きてきたつもりです。このような事件に巻き込まれ、犯人と決めつけて自白を強要するかのような取り調べを受け続け、実名報道までされたことを絶対に許すことはできません。
 
 今回の誤認逮捕は、適正な捜査を行っていれば起こらないはずでした。私のような思いをする人を二度と出さないためにも、口先だけの謝罪で済ませるのではなく、今後どのような指導を行い再発防止に努めるのか具体的に公表してほしいです。
 
 なお、報道関係者各位におかれましては、自宅および大学周辺、家族、友人等へのこれ以降の取材はお控えいただきますようお願いいたします。
 
2019年7月29日 匿名希望  2109.8.2 朝日デジタルより引用

 
 
 

 
 
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