このところ『毒親』という言葉を頻繁に耳にするようになりました。
家庭内(主に親との関係)に問題があり、大人になっても自分に自信が持てなかったり対人関係が上手くいかず生きづらさを感じている人が増えている、という社会背景がまずあるわけですが『アダルトチルドレン(AC)』が子供側を指すのに対して、育てた側である親を指す言葉であるようです。
『アダルトチルドレン』については、1970年代にアメリカ社会でアルコール依存症の親に育てられた子供が成人後に抱える問題として提唱されていたそうですが、毒親とは?
たまたま図書館でこんな本が目についたので読んでみました。
『ガマン・忍耐・努力』が美徳であり、幸せな人生を掴みとるの不可欠と信じて疑わなかった(事実、そうであったでしょうし)昭和の価値観はもう古い。子供のためにと押し付けるその価値観が子供たちを苦しめているんだよ。
という主張がメインで、わりと読みやすい。
苦しみのまっただ中にいる人にとっては『そんな生易しいものではない』と言いたくなるかもしれませんが、毒親問題入門書的な印象の1冊でした。
『毒親』という言葉は日本生まれなのかと思ってたのですが、↓こちらの本から生まれた言葉だそうです。
私が気づいていなかっただけで、『毒親』本はたくさん出ていたのね。
不幸にしてこのような親に育てられたら、どのようにその呪縛から逃れたらよいのか..という視点のもの。
うーん。こんなにいろいろな本が出ているということは、それだけ『毒親』に悩む人が多いということなんですね。
読んでいないので内容についてコメントできないのですが、少しづつ読んでみたい。
というのも、自分が子供をスポイルしていたらどうしよう?という気持ちがこのところ強くなってきたから。
下の子が高校生になってしまった今となっては遅きに失している感はありますが、この歳になって自分の母親との関係を振り返ることが多くなり、昔のことを思い起こしているうちに、母 — 自分 — 娘たち、の関係についても見つめ直してみたくなったのよ。
『毒親』ほどキツイ言葉ではないけれど、『母が重い』感じは多くの人が共感できるのではないでしょうか。
コメント
LEEちゃんこんにちは!
暖かい日が続いていますね~このまま春が来ればよいのだけどそう甘くはないか・・
毒親についてや毒親に育てられた、専門家の著書など一時期読み漁りました。
やはりうちはリアルに進行中ですからね。
極端な話、彼の苦悩は死ぬまで・・かも。
うちは二人とも息子だからか、やはり私と息子たちとの関係など彼が見ていて、自分が育てられた時のことを思い出したり、羨ましさもあるようです。
私自身のことを言えば、母親はやはり離れていても精神的に私のことは心の支えのようですが、うちは息子たちなので私自身はそういう期待はほとんどなく、どうにか自立してたくましく生きてくれよ!と思いますね~
今年はホント暖かいね。
でも明日からこの冬一番の冷え込みになるって。もう立春なのにねえ。
暴力・暴言のような毒は自分も周りも気がつくチャンスがあるよね。
最近思うのは、よかれと思ってついつい『こうしたら?ああしたら?』と親の思う通りに仕向けてしまうのって気がつかないうちにやっちゃってるよなあ…ということなんだ。
たいてい思春期の頃に子供からしっぺ返しがきて気がつくんだとは思うけど、『よい子』のまま親のいう通りに生きてしまうこともあるよね。
親が育った時代には『良し』とされていた価値観でも子供の時代は違っていることもあって、自分の考えを少し転換できればよいのだけど歳をとるにつれて頑固になっちゃうから結構難しいんだなあと思う。
自分がやってきたことを思い出して『アチャー!!』ということもたくさん。
子供たちはうまくそこを乗り越えてきただろうか?と思ったりね。
今朝は寒かった!
上の子のときは『あーしたい、こーしたい』って思ってたんだなあ、と思う。
小さい頃は上手に表現できなかった気持ちを大きくなってから聞く機会が増えて、『申し訳なかったねえ』と反省しきり。
孫が出来たら、同じことを繰り返さないように気をつけなくちゃと真剣に心配しているくらいよ。
ホント久々に寒いですね~
また仕事で茨城にいっていて先ほど戻ったら水凍結~
やっと治ったよ
「こうしたらああしたら・・」ってそれあるわ~
私も気が付かなかったんだけど、大学になってから下の子がそれらしいこと言っていて
まじか!って思いました。
でもまあ、その時がお互い子離れ親離れの時、呪縛から解き放たれる(笑)のかな~