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「世紀をひらく原子の火」がもたらしたものは…?



朝日デジタル『論座』にこのような記事が掲載されていました。全文無料。

 茨城県東海村といえば、誰もが知るように、日本の原子力発祥の地である。 日本原子力研究所が設置され1957年夏に日本初の原子炉「JRR-1」が臨界に達した歴史的な場所として、教科書にも載っている。その

原発推進派・反対派関わらず読んでもらいたい内容でした。



東海村。50年前は田舎の寒村だった小さな自治体ですが、原発マネーで道路も施設も立派なものです。


潤沢な村予算のおかげで、医療も教育も近隣の自治体に比べて雲泥の差。


茨城県民の歌には『世紀をひらく原子の火』という一節があるくらい、当時は希望にあふれた出来事だったんだよね。


幼い頃から村の発展する様子を目にして育ち、のちに村長になった村上氏の言葉だけにとても考えさせられるものがあります。


国が100%安全と言い切ったことを信じて疑わず受け入れてきた村民。


当初は原子力研究所を受け入れたつもりがいつのまにか発電所ができていた..というくだりは「さもありなん」と思わされます。


そして『原発マネーで潤ってきた当事者が何を今さら』『原子力関連施設がなくなったら雇用がなくなる』という推進派の意見に対しての

棚ぼた式の目先のカネに頼った途端、地域の経済構造は歪み、自立の根を奪われたうえに、原子力への疑問の声や異論を排除する風通しの悪い社会に変わってしまいます。

あげくに故郷を失うことになったら、何の意味もない。原発は邯鄲の夢。決してカネのために魂を売ってはならないんです。


という言葉が深く突き刺さります。





注釈にある「東海事業所再処理工場のアスファルト固化処理施設で起きた火災」。


「何か事故があったのね」という程度の記憶はありますが、こんなにも深刻な事故だったというのはこの解説で初めて知りました。


事故当時、村内ではないもののすぐ近くに住んでいて現場施設の目の前の道路をマイカー通勤していたのにね。


知らぬが仏とはこのことだわ…。


当時は残業続きの会社員でしたからニュースなんて全く見ていなかったのもあるけど、オットも記憶にないというので上手に隠蔽されていたのかも。




そしてその2年後に起きたJCOの事故。これはさすがに身の毛がよだつような思いをしましたよ。


お昼ご飯を食べながら見ていたテレビから『原子力関係施設で臨界と思われる事故』というニュースが流れてきて頭の中は『????』。


そして、それ以外に詳しい情報が全くでてこないの。


『臨界』と呼ばれる現象が原研(原子力研究所)・動燃(当時)や原電(日本原子力発電)でもない民間会社で起きているってどういうこと?って思いました。


そもそも原研・動燃・原電の他にたくさんの原子力関連施設があるなんて知らなかったもの。


とにかくこれは大変なことが起きているに違いないと、遠方に出かけていてすぐに戻れない状態のオットに電話。


『窓と換気扇はとりあえずガムテープで密閉した。これから子どもを連れて実家に避難するね』と、買い置きの紙オムツありったけと身の回りのものを車に詰め込んで保育園に子どもを迎えに行き、そのまま親子で実家に避難したのでした。


夜になって、村内外関わらず10km圏内に避難勧告が出たのを実家のテレビで見ていたことを思い出します。





あのときの東海村長が村上氏なんですよね。


そして3.11の福島原発事故。

東海村でも同じことが起きるところだった、というのは当時あまり大きくは報道されませんでしたが本当に紙一重だったのですよね。




原子力政策に期待し、ともに歩き、そして裏切られた人の言葉ですからね、説得力があります。






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