身も蓋もないタイトルだけど、和田秀樹&中野信子の対談というのに興味をそそられました。
「頭の良さ」とか「賢さ」って言葉を今のお二人なりに定義されている。
時代によって社会がその構成員に求める「賢さ」って変化するとは思うけど、私が日々感じていることは大筋このお二人に肯定してもらえてるなあとちょっと安心したよ。
こういう本って東京大学出身の『頭の良い』お二人だからこそ説得力もあるわけで、市井のおばちゃんが似たようなことを言っても負け犬の遠吠えなんだけどね、ははは。
それにしても和田さん、相当東大がお嫌いなのね。教授たちや卒業生への批判がすごいです。
東大に入れるような人たちは、正解のある問題を解く能力において日本のヒエラルキートップってことでしょ。その能力は誰もが身につけられるものではなく評価に値すると思うし、その後何を始めるにしても相当なアドバンテージ。そんなにこきおろさなくてもねえ。
そんな東大卒の中では自分がいかに「頭の良い態度で生きているか」っていうマウント臭もなかなかのもの。中野さんが柔軟に対応される様子や言葉選びに彼女の方が何枚も上手だなと思う場面が多々あります。
中野さんは和田さん並の魑魅魍魎のうずまく世界で名を成している女史だけあって、それこそ『頭がいいのね!賢い!』っと思わされる手綱さばきですわ、同じ女性としてスカッとする(^^)。
んで、この対談の中での『頭のよさ』として共感した言葉をいくつか記しておきます
「答えを出さずに複数の選択肢を抱えておける能力」
白黒はっきりさせずにグラデーションのまま、脳の作業台(ワーキングメモリー)にどれだけ保っておけるか、ということ
「他者のよいところを学ぶ」
世間常識から外れているようなこと、その分野で通説になっているものを一旦横に置いて、他者の意見を素直に聞いてみる姿勢と言ったら良いのかな。
最後にモロモロのまとめ的に
「頭のよさとは能力ではなく態度である」
新しいものを取り入れる態度、他者の意見に耳を傾ける態度、他者に対する寛容な態度(「得意澹然、失意泰然」っていい言葉ね)
和田さんの「おわりに」よりも中野さんの「はじめに」に私はビビッと刺激されました。どうもこの手のオジサマの言葉はモヤっとするんだよねえ。私のオジサン差別?偏見?かもだけどね、ごめんなさい。
本の感想からは逸れますが。
ムスメ達が小・中学生だった頃、保護者同士の会話に出てくる「頭がよい」にすっごく違和感があったのですよ。先生の言いつけをよく守ってれば取れる高得点に『頭いいね〜』っていうやつ。
で、ムスメたちもどちらかといえばそっち系グループに属していたのですごく居心地悪かったな。田舎の公立小で先生の指示通りに宿題やテスト準備のできる女子アルアルなだけなのにね。
一方で「この子、賢いなあ」と感じる兄弟がいたのだけど、先生の話なんか聞いちゃいなくてノートは汚ったないしテストもテキトーなヤンチャ男子。でも話をすると「へ〜」と思わされる視点を持っていたり、大人の本音と建て前を見抜く嗅覚が鋭くて自分の意見をしっかり言うタイプ。
「空気読めない」とか「自分勝手」と子ども達からもママさん達からも評判悪くてね、私がちらりと褒めようものなら周りのママたちから私が白い目で見られる始末。
ノートぐっちゃぐちゃで解き方も先生の言う通り(教科書通り)ではないのだけれど、「あ〜、そういうプロセスもありだよね」って方法で正解していることに感心させられることが多かったな。
PTA絡みで学習支援ボランティアに参加していた時期があって、子ども達が問題を解く様子を見ていると『今のところ正解を書けているけど学年があがるにつれて大ゴケするタイプ』と『今は正答できてなくても本質を理解しているので伸びるタイプ』がよく分かる。
我が家のムスメたちはモロ前者タイプ(笑)でハハはとっても気を揉んでいたよ。
受験とは縁がなくなったので効率良く正解に到達する力はそれほど必要なくなったけど、人生で直面する「正解のない問題」を思考する能力が必要になるのはむしろこれから。せめて「頭のよい」態度を身につける努力はしていかないと。
気がつけば、自分自身も頭や心の柔軟性が随分と低下しているよ。年寄りじみたことばかり呟いていないで「賢い」態度を身につけないといかんね。
余談ですが、Amazonレビューでの低評価の多くがこの本の中で言及されている「頭のよさ」と対極な感じ。皮肉的で面白いです。
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