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困難な成熟【読書メモ】



日々の生活の中でふと湧いてくる疑問。それも多種多様な人々から構成されている社会についての『そもそもコレって?』な疑問に内田先生が答えていく哲学書?エッセイ集?な本でした。

一本のストーリーがあるわけでもなんでもなくて、子どもが思いつくままに大人に投げかけているような疑問が並んでいます。


読んでいて自分にフックしたセンテンスをならべておきます。

「責任をとるということは可能でしょうか?」
答え「不可能です」

「ごめん」で済む話はない。どのような損害であれ、それを原状に復元して、「なかったこと」にするということはできない。そういうことです。ですから、「もう起きてしまったこと」について「責任を取る」ということはできません。原理的にできないのです。も起きちゃったんだから。

問題なのは、フェアネスのさじ加減がわかる人間は「わりとフェアな社会」からしか生まれないということです。フェアな社会派フェアな人間を再生産する」

自分が選択したこと、自分がやっていること、自分が考えていることの適切さについて第三者的、価値中立的な視点から吟味できないことを僕たちは「頭が悪い」といいます。

教育の受益者は「本人」ではありません。共同体そのものです。

「愛する」という行為は理解と共感の上にではなく、「理解も共感もできないもの」に対する寛容と、あおのような他者に対する想像力の行使の上に基礎づけられたほうが、持続する。

人間が不機嫌なとき、暗い気持ちのときに下した判断は、だいたい間違っている。

トラブルというのは「問題」じゃなくて、「答え」なんです。

今、目の前にいきなり出現した「青天の霹靂」じゃなくて、それまでかなり長い時間をかけて「仕込んできた」さまざまなファクターが作り上げた、あなた自身の「作品」なんです。

常識が機能するのは、それが期間限定・地域限定の、一般性に欠けた暫定的な弱い真理である限りにおいてです。その有限性を熟知している人が口にする場合に限り、「そんなの常識だろ」という言明は限定的な状況で指南力を持つことができる。

頭の中でぐるぐるしてしまうあれやこれやを整理するのに役立ちそうな言葉をメモしてみました。


内田先生の文章を読んでいると。迷宮に入り込んだような気分になったり、もやもやしていたことがスカーンと晴れたりします。

一旦頭をぐちゃぐちゃにしてから整理し直すいう作業はとても疲れるけど、時々やってみると面白いのでわりと好きです。