「障害者の生きる意味」を問う声に、僕の答えを示したい…映画「こんな夜更けにバナナかよ」原作者の渡辺一史さんが新著(上)
ヨミウリオンラインでこんな記事を見つけたので早速借りてきました。。
映画の原作である『こんな夜更けにバナナかよ』はさすがに人気で順番待ちなので、こちらから。
2003年に『こんな夜更けにバナナかよ』が刊行されてからから15年。その当時の体験をもっと広い視野でとらえ返してみたいと取り組んだのが本書である、とあとがきに書かれています。
『バナナ』の方は映画も見ていないし原作も読んでいないのですが、本書を読むと大体のことがわかります。
著者が若かった当時の経験から気づかされたこと感じたことを時間をかけて深堀りし、より正確な言葉で書き直したというイメージで読みました。
『バナナ』から本書が出版される15年の間に相模原の障害者殺傷事件(2016年)が起きます。
事件を起こした植松被告の『障害者は不幸を作ることしかできない』という考え方に、社会が大きく心を動かされた事件でした。
『そんなことない』と頭ではわかっていても、実際に重度の障害者との関わる経験がない人間にとって『そうだよね、周りの人も大変だし…』となんだか植松被告の主張に一理あるような気がしてしまいます。
おそらく健常者であろう我々多くの人間が頭ではわかっているつもりでも、実際のところなんだかもやもや…..というこの件に関する明確な答えがこの本の中にはあると感じました。
私自身、若い頃にJICAを通じて途上国暮らをした際にちょうど同じようなことを考えていたんですよね。
若気の至りそのもので何かを『してあげる』つもりで行ったはずなのに、社会人としての経験もロクになく、言葉もたどたどしいアジアからやって来た女の子に大したことが出来るはずもなく、振り返れば現地の人達に助けてもらうことの方がずっと多かったのです。
途上国、すなわち自分の国より劣った状態に置かれている人達に何かをしてあげる、という今思えば随分と生意気で高慢ちきな考えを持っていたものです。
自分の力がそもそも足りないことを差し引いても、気候も文化も異なる社会へ入っていくのだからフラットな視線で謙虚に物事を捉えなくてはいけなかったと気づいたのは赴任して随分と時間が経ってからでした。。
その時に得たことがその後の自分の感じ方・考え方に大きく影響していることは言うまでもありません。本当に得難い経験でした。
自分が役に立てる場面もあれば、助けられ教えられることもあるというのは、障害者について考える場合も同じなんですよね。
障害者とか健常者とか途上国とか先進国とかとにかく社会のもろもろの問題って上下や強弱で考えるとうまくいかない。
そもそも強い人が常に強く生きていけるのかというとそんなことはなく、時として不自由な状態に置かれることもあるし、公的・個人的を問わず他人からの助けを必要とすることは往々にしてあるわけです。
弱い者や物理的な手助けを多く必要とする人が生きやすい社会は、誰にとっても生きやすい社会なのだと思うし、多様性を認めない社会は結局のところ自分たちの首を絞めていくことになるのではないでしょうか。
うまいこと感想をまとめることができないのですが、人と人、人と社会のあり方について考えさせられる1冊でした。
映画の原作となった前著はこちら。