ディズニーランドのあるきかた?

ディズニーシーに行ってきた下の子。
 
さぞかし楽しかっただろうと思ったら、そうでもなかったらしい。
 
 
友だち関係がキツイとかっていうわけではないようなのですが、『ディズニー詣で』にお決まりの『掟』のようなものが気に食わないらしい。
 
 
パークについたら、お揃いのカチューシャ買って〜、フォトスポットで写真撮って〜、なんとかいうアトラクションに乗って〜、200分待ちとかでも並んで〜….。
 
 
っていうのがね、最初から決められたことを『こなし』に行っているみたいで嫌なんだって。
 
 
 
ジェラトーニのカチューシャじゃなくて他のキャラのかぶりものが欲しかったけど、仕方なく皆でお揃いの買った。
 
 
とか
 
 
○○っていうアトラクション、絶叫系の乗り物嫌いなの自分だけで、仕方なく乗った。
 
200分も並ぶんなら、別に新しくて話題のアトラクションじゃなくていいからさ、待ち時間少ない方がいいんだよね、私は。
 
 
とか
 
 
インスタに載せるためにフォトスポットで順番待ちしてまで写真撮るって意味わかんねー。
 
とかとかとか。
 
 
 
 
今回のメンバーだけでなく、中学生のときの仲良しグループで行った時も同じようなこと嘆いてたなあ。
 
 
中高生女子グループだけのカルチャーなのかと思ったら、大人もカップルも、とにかくみんな同じだというのよ。
 
彼氏ができて(今は全く男っ気ナシ)ディズニーランド行こうってなったとき、そんなんだったらどうしよう〜、って心配までしてて、ちょっと笑っちゃった。
 
 
インスタ映え、もしくはお土産話で自慢できるようなコースを追体験しに行くだけ…みたいな感じなのかな?
 
 
 
 
『もう、家族で行きたい!! ほのぼの系の待ち時間が少ないアトラクションだけ楽しんで、あとはゆっくりショップ巡りとかしたい。写真だって、記念写真じゃなく好きな風景を切り取って歩きたいんだよ私はっ』と叫んでました。
 
 
その気持ち、とっっっってもよくわかるよ。
 
というか、我家の面々は皆そういう感覚だからなあ…予定調和な遊び方ってなんかつまらないと思ってしまうんだな。
 
 
 
 
よしよし、今度は家族で行こうぜい!!
 
 
 
 
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よその子を叱ること。よその大人に叱られること。

先週末は、久々に友人・知人・その家族を含めた20人超が我家に集合して、飲めや歌えの大騒ぎ。
 
 
 
基本的にはオット達つながりだけど、家族ぐるみで長い年月繰り返し集まって遊んでいるので、その配偶者や子供同士も『お父さん』抜きで付き合う関係に発展しています。
 
知り合った当時はまだ生まれていなかった子が今じゃ25歳。
 
今回集まった中では我家の下の子(高1)が最年少でしたらから、もう全員大人と言っていい年齢。
 
今回、親は遠くて来られないけど進学先の東京から子どもだけで来た子もいましたよ。大人になったなあ。
 
 
 
 
親の遊びにつき合わされて毎月のように集まっていた頃、下は乳飲み子から上は小学生。
 
異年齢の子供が集まることで、親も子も学ぶことがたくさんありました。
 
特に、親の子育てポリシーや各家庭のハウスルールの違いがあることを知るのは、子供たちにとって大きな経験だったと思います。
 
食事時のちょっとした作法、例えば全員で食卓を整え皆が揃ってから食べ始まるとか、自分の食器は自分で流しに下げる…とか。
 
 
 
自分の家なら勝手に冷蔵庫をあけて飲む麦茶も、その家の人に断ってから冷蔵庫を開け自分でコップに注ぐとか、礼儀を守りつつ相手の手はなるべく煩わせない…なんていう大勢で集まるときの気遣いも。
 
冷蔵庫に手が届かない小さなうちは『お水!』って叫ぶのではなく、『○○下さい(ちょうだい)』と誰かにお願いして取ってもらうとか、本当に小さなことばかり。
 
自分の親以外の大人に何かを頼むのって、家族だけの生活の中では経験できないので子どもには意外と難しいことなんだよね。
 
自分の家では当たり前のことが当たり前じゃなかったり、よその家のお父さんに『何やってんだ!危ないぞ!!』と鬼の形相で怒られたり。
 
 
複数の家を訪問し合っていると家庭によってルールが違うことも分かる。
 
そうこうしているうちに、このグループの共通ルールのようなものが自然とできあがっていったような気がします。
 
 
 
 
 
ただね、よその子と自分の子を同じように叱るのって親にとっては意外に難しい。
 
その子の親への遠慮があったり、その子に嫌われるのが怖かったりして、ついつい自分の子だけ叱っちゃうんだよね。
 
そこを乗り越えるのにはやはりある程度の時間が必要だったと思います。
 
頻繁に泊まりがけでつき合ううちに、自分の子だけ叱るのは相手の子にも自分の子にもよくないとわかってくるのですが、それを実行するには自分も結構エネルギー使うのよ。
 
 
大勢が集まっている時は、それぞれの親の目が届いていないから近くにいる大人だれもが自分の子どもと同じように叱ったり褒めたりなだめたりしながら面倒を見る。
 
これ、親同士のある程度の信頼関係がないとできないんです。
 
この距離感や信頼関係というのはは一朝一夕に出来上がったものではなく、親同士子ども同士、時には親子交えてのトラブルを経験しながら得たもの。
 
 
 
 
 
だからね、よく『よその大人に叱られる経験が大切』と言われるけど、街中で見ず知らずの子を叱ったら親に逆切れされるのも当然なんだよね。
 
たとえ近所のおじさん・おばさんでも、日頃から地域の付き合いや繋がりがあってこそのこと。
 
 
 
 
小さな子に関わる機会がすっかり減ってしまい、最近の子育てのことはよくわかりませんが、異年齢集団・複数の家族・地域が関わる子育て環境って大切だなあと改めて感じた週末でした。
 
 
 

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民間英語試験は導入延期でひと安心

大学入試の民間英語試験導入延期。
 
萩生田文科大臣の「身の丈発言問題」がきっかけとはいえ、よくぞ決断してくれたわ。拍手拍手。
 
 
 
英語の『読む・書く』力だけでなく、『聞く・話す』力が必要なのはもちろんよくわかる。
 
でもね、公立の小・中・高校の英語教育がそこをきちんとカバーできていない状態で大学入試の方向性だけ大きく替えるのは間違ってると思う。
 
 
しかも民間へ丸投げときたもんだ。
 
民間試験て難易度も目的や評価方法がそれぞれ異なっているのに、それで輪切り入試の合否判断に使うなんて、私のような素人が考えたって変だよなあと思う。
 
百歩譲って、各大学や学部がそれぞれの求める力に応じた民間試験を指定して受験を求めるならまだ分かるけど。
 
 
 
 
きくところによれば、英語の専門家が反対しているのにゴリ押しして導入を強く推進したのは、楽天の三木谷社長をはじめとする産業界の人達だったというじゃないですか。
 
もちろん彼らだけで制度を決められるわけではないけれど、経済界から強くプッシュされたらアベノミクスにも影響しそうだもの、議員さんやお役人もOKしちゃうよねえ。
 
 
 
 
大学で学ぶために必要な英語力と、ビジネスで必要な英語力って違うはずだし、なしくずし的に走り出しちゃった民間試験導入に疑問を感じていたのは受験生だけではないと思う。
 
 
もうねえ、日本語でさえろくにコミュニケーションできない人が形だけ英語使えてもダメなんだってば。
 
伝えるべきことを母国語できちんと思考できて初めて役に立つ道具なのよ。
 
そういう教育をおろそかにして捻出した時間を使って、役に立たない英語の授業を受けさせるなんて無駄。
 
中学校の英語の授業見たら、本当にがっかりよ。
 
あんな英語の授業やっているくらいなら、もっともっと思考力を鍛えたり論理的に自分の意見を伝える訓練をさせてほしい。
 
 
 
どうせネイティブ並の英語力なんて、インターナショナルスクールのような特殊な教育環境でなければ身につかないんだから、大学入試では読み書きの基礎力がキチンとついているかどうかをはかればいいと思う。
 
あとは大学に入ってから必要に応じて鍛えればいいんじゃないの?
 
 
 
 
すっかり振り回された受験生(特に現在の高校2年生)は本当にお気の毒でした。
 
我家も高校生がいるので、この話はかなり気になっていました。とりあえず対象からはずれてひと安心。
 
 
延期後最初の対象受験生となるのは現在の中学1年生。
 
それまでにキチンとした制度ができるのかなあ。先送りにしただけで、直前になってまたもやすったもんだするのじゃないのかしらねえ。
 
 
 
 
 
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我が子が幼かった頃の話。

子育て観の連投です。
 
 
我家の子ども達が小さい頃のことを思い出しちゃってね。
 
 
うちは2人とも人見知り・場所見知りが強くて、出先で手が付けられない騒ぎになる経験があまり無いんですよ。
 
だから騒ぐ子どもやそれを放置する保護者に厳しい感情を持ってしまうのかなあ…と反省する気持ちもあったりして、最近の子育て事情をどう捉えていいのか揺れています。
 
 
 
 
うちの場合は、公共の場(病院とかスーパーとか図書館とか)へ連れて行くたびに、グズグズを始めたら躊躇わずにその場を離れるというのを2〜3歳頃に繰り返していたような覚えがあります。
 
そのせいで幼心にも『これはダダこねても通らないな…』と伝わったのか、その後苦労した記憶がないんです。
 
「自分の意思を通すためには何が効果的なのか」を子どもなりに学んだのか。
 
騒いだりダダを捏ねるのはむしろ自分の損になる…と感じていただけかもしれませんが。
 
 
 
 
大人の方でも、いったん約束したことをちゃんと守るって大切。
 
「今日は買ってあげる」と言った日は「もっと安いのにしてよ〜」とか「そんなお菓子はダメ」とかごちゃごちゃ言わずに買ってあげるとかね。
 
内心『ゲッ!高いよそれ〜』と思ってもグッとこらえる(笑)。
 
おもちゃなど値の張るものについては、子どもの要求と親のフトコロ事情に照らしていくつかの選択肢から選ばせる…とかで切り抜ける。
 
 
あとは、日頃ダメと言っているのに『今日はOK』的な例外を作らないのもポイント。
 
例外の理由がキチンと理解できるようになったら、それもアリになってくると思うけど、小さい頃は極力例外を作らないようにジジババにも協力してもらったりね。
 
「この前は良くて今回はダメ」の理由をその場で理解させようとしてすったもんだするのが嫌なのよ。
 
 
 
結局は自分がラクするために、早め早めに躾けちゃうってことだったのかも。
 
レストランで騒ぐ子ども連れて食事するのもイヤだし、図書館や書店でグズグズ言われたら自分が落ち着いて本を選べないからね(爆)
 
傍若無人な振る舞いは自分が損だぞ…と早いうちに刷り込む先手必勝。
 
 
 
 
 
あれこれ自分のことを書いてしまったけれど、障害のあるお子さんへの配慮も求められている時代ですからね。全てを『うるさい子ども&放置する親』と一括りにするつもりはないのですよ。
 
 
でもね、周囲の人間はどう判断したら良いのかわからないからね。「社会は子育てに理解が無い」と一方的に思われても困るしなあ…。
 
 
 
子育て世代を優しい目で見守ることと、多くの人が快適に過ごすための「場」を大切にすること、どう両立させたらよいのでしょうね。
 
自分なりの落としどころがうまく見つけられないわ。
 
 

 
 
 
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子育て受難の時代なの?

昨日おそるおそる書いた記事に、たくさんのポチを頂いて驚いています。
 
 
 
 
 
あんなことを書いておきながらこう言うのもどうかとは思うけれど、今って本当に子育てが難しい時代だなあと思います。
 
情報が多すぎて、突然親になった身からしたら何が正解なのか分からない。
 
 
子育てにお金がかかるのも、多すぎる情報の最大公約数的可能性を手に入れたいからだと思うの。
 
みんながやることはひと通り自分の子どもにも与えようと、たくさんのお稽古ごとからはじまり、お受験、大学までのフルコースを目指すとなると、お金なんていくらあっても足りないものね。
 
 
 
「褒めて育てる」とか「叱らない育児」のような耳障りの良い子育て法だって、その言葉の本質を考えれば、昨日の記事に書いたような周囲が眉をひそめるようなことにはならないと思うのですよ。
 
表面的な情報に振り回されていると、子どもを社会に送り出すために何が大切なのかを見失ってしまいがち。
 
SNSで他人の様子を簡単に覗けることで、育児にも学校のテストのような正解不正解があるように錯覚してしまうのかも。
 
素敵な写真をインスタにアップしているママが本当に幸せかなんてわからないのにね。
 
 
 
そうこうしているうちに子育ての大変さばかりが強調されるようになって、耳年増になった若い人達が子どもを持つことに及び腰になっちゃったのかなあ。
 
 
人を好きになって、新しい家族をつくって子どもを育てるというのは、人間としてごく自然な営みだと思うのだけれど、それを選択できない(したくない)国になりつつある日本。
 
若い人達は具体的に意識していないのかもしれないけれど。
 
 
 
オバチャンたちはそんな若者をどう応援してあげたらいいのかなあ。
 
 

 
 
 
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