今朝のネットサーフィンで読んだ記事の中でこんな言葉がありました。
[以下引用]
高度成長期に作られた教育システムと社会システムが、変化の早い情報時代になって時代遅れになっているにも関わらず、そのシステムの中で成功して来た人たちや企業が抵抗勢力となり、Microsoft、Google、Apple、Facebook、Amazon のようなソフトウェアを武器にして社会全体を飲み込んでしまうようなベンチャー企業の誕生を阻んでいるのです。
一流大学を出て一流企業に入れば勝ち。そんな洗脳が日本を滅ぼすより
[引用ここまで]
この記事全体は80年代に飛ぶ鳥を落とす勢いだった日本企業の凋落ぶりについて考察したもの。
この中で激しく同意した部分があったので太字にしてみました。
これ、ビジネスの分野だけではなく日本の社会全般について言えませんか?
政治と行政のゴタゴタ、貧困の問題、教育格差やいじめ、今の日本で吹き出している様々な負の側面の原因がこの言葉に象徴されているような気がします。
今の世の中でおいしい思いをしているのは、この旧態依然としたシステムのなかで既得権を持った人か、システムの変化にいち早く対応できた一握りの人だと思うのです。
AppleやMicrosoftのような怪物IT企業の登場に驚いて、日本のビジネス界も90年代以降慌てて体制を変換させてきたのでしょうが教育は高度成長期のままですからね。
詰め込み教育からゆとり教育へ、数年やってみたけど効果が出ないので今度は反対路線へ方針変更と小手先の改革を行ったところで、教育現場やそれを統括する役所、もっといえば社会全体の意識は昔のまま。
高度成長期を牽引してきた高齢者(政治家さんたちの多くはこの世代ね)、その時代に育った私達世代より上の人口が多いうちは、変化を許したくないムラ社会的色合いをもった教育の根本部分が大きく変わることないでしょうね。
今の世の中、社会全体が2大勢力に分かれて足の引っ張り合い。
『私の常識が世の中の常識!逆らうヤツは叩きのめす派』と『多様な意見容認!新しいことウエルカム派』。
いろいろな場面で『どうしてそんなに頑固に対立し合うの?』って本当に不思議に思います。
既得権を振りかざす政治家ととりまきお役人vs.そこに風穴を空けようとした前川前文科事務次官の構図も、スクールカーストやいじめも、ママ友トラブルも根っこは同じと言ったら言い過ぎですか?。
特に旧システムが幅を利かせているチームは怖い。
なにしろ長い時間の裏付けがありますからね。自分にとって馴染みのない言動に対して『よくわからないけど、とりあえず聞いておこう』とはなりません。
代表的なのが『平等』『常識』『普通○○だよね』という言葉や、女の子たちに蔓延している『お揃いの持ち物』への半強制的圧力。
最初に『私は力を持っている』と上手にアピ−ル出来た者が徐々に味方を増やして大勢派となればその人のことばが『常識』であり『普通』のことになってしまう。
『みんな仲良く』という言葉も表面的には素敵な言葉ですが、日本社会では大勢派(もしくは声の大きい人)が横並びで同じような行動を取れない人間をはじくためのおまじないのように私には聞こえます。
ファーストペンギンを生まない教育やムラ社会的意識はいつまで続くのでしょうか。
一握りのファーストペンギンも、勇気のないその他大勢も、社会のシステムから振り落とされずに穏やかに生きていけるにはどうしたらよいのでしょうかね。
なんだかとりとめもなく書き散らしてしまいました。
身近であったちょっと悲しい出来事。
一方的な『常識』圧力により旧システムチームからはじき飛ばされてしまった人がいてね。
はじき飛ばした側とはじき飛ばされた側。どちらサイドからも話を聞いていた自分にはもっと踏みこんで出来ることがあったのではないか…とちょっと考えてしまって….。