最近、自分の勉強とは関係のないばかりで恐縮です…。
今、私の中のホットなテーマは、お金のない今(=仕事が少ないので来月の収入も当然少ない)をどうやって乗り切るか。
ただでさえ出費がかさむこの時期、スーパーに行く頻度をなるべく少なくしたり、賞味期限が迫った値引きシールのついた品を選んでみたりと涙ぐましい努力をしています。
でもね、不思議とこういう時に限って到来物がたくさんあるのです。
果物なんて普段なかなか食卓にのぼらないのに、先週からリンゴやみかんに自宅で穫れたという立派なレモンが食べきれない程届いて贅沢な状態が続いています。
そのほかにも、最近農業を始めたという若い方が立派な白菜や珍しい人参を持ってきてくださったり、昨日は近所から泥付きの長ネギを抱えきれないほどいただきました。
仕事がないということは時間はたっぷりあるわけで、こういった到来物をできるだけ長くおいしくいただけるように頑張ります。
毎日毎日白菜料理が続きましたが、安く買い置きしてあるお肉や缶詰と組み合わせ、味付けも和洋中のバリエーションで飽きないように工夫して乗り切りましたよ。
せっかくの果物も、忙しいとリンゴを剥く手間すら面倒で美味しい時期を逃してしまったり上手に保存できず傷ませてしまったりするのですが、今年は食事の度においしいリンゴがたっぷり食卓にのぼっていますし、レモンも砂糖漬けにしてお茶やお菓子に活用される出番待ち。
自分であんこを炊いたり、コストコで大量に買い置きしてある小麦粉やバターを利用してお菓子やパンを作ったりすると、子どもたちが出来合いのお菓子よりむしろ喜んでくれるのも幸せなものですよ。
こんなにどうやって使う〜?という大量のマッシュポテトの素も、このところ大活躍。
お金がなくても手間と工夫でできるだけ湿っぽくならず、楽しく豊かな気分で過ごすことを毎日心がけています。
我家でよく話すのは『お金がなくても貧乏くさくなるな』ということ。
私もオットも、お金が無いのと『貧乏臭い』のは違うと思っていて、お金はなくても楽しく笑いながらご飯を食べたり知恵と工夫で買わずに済ませることは『貧乏』ではないというスタンス。
逆にデパ地下で買ってきた値の張るお惣菜なのにパックのまま食卓に出したり、ブランドの高級な靴が汚れたまま玄関に雑然と脱いである状態は、お金があっても『貧乏臭い』生活だと思っています。
友達やお世話になった方への出費も同じ。義理ごとは必ずしもお金を使うということではなく、手間や時間を人のために使うのをケチるのがNGということです。
もちろん『背に腹は代えられない』という状況もあるとは思いますが、『情けはひとのためならず』という言葉もあるように、貧乏臭くない心がけはめぐりめぐって自分を救ってくれるはず。
お金はなくとも『貧乏』という言葉を使わないのも私のモットー。『貧乏』って言葉は心まで貧しくさせてしまうような気がするから。