先日返却されてきた『情報資源概論』のレポート、第2課題について記録しておきます。
【第2課題】 資料収集と提供に関する具体的事件を取り上げ、図書館の自由の視点から問題点を解説しなさい。
はじめに
民主主義社会において国民の「知る自由」が保障されることは不可欠である。そのために図書館が果たすべき任務として「図書館の自由宣言」に謳われている5項目のうち、資料収集と提供の自由に関する具体的な事件を挙げ、その問題点を以下に述べる。
本文
1. 資料収集の自由に関して
公共図書館では、議員・議会、宗教団体や各種外部団体からの要求に対して難しい判断を迫られるケースがある。一例として1983年に品川区議会議員が区立図書館に対して要求した蔵書リスト提出がある。労働問題分野に関する偏向を指摘した上での要求であったことから図書館員らは検閲の懸念を示した。館長が業務命令として発令し3日後に撤回するなど紆余曲折を経て最終的に一千冊以上のリストを提出した。公開された目録情報を殊更にリスト化するという通常レファレンスの範囲を超えた要求を、調査権限を持たない議員個人があたかもそれにに基づくような要請をしたことは図書館への圧力・検閲行為と捉えられかねない。圧力が図書館側の自主規制を招き選書の中立性を欠くことに繋がる恐れがある。
また、選書への介入が起きやすいのが学校図書館である。愛知(1981)や千葉(1984)の県立高校で管理職が購入禁止図書を指定した例が有名である。購入禁止の理由は、戦争・革命・自由・運動・組合・女性解放の拒否、著者の思想背景から「偏向している」としたものが多かった。生徒が「教育的配慮」の名目で一方的な考え方を押し付けられたり、幅広い意見に触れる機会を奪われることの無いよう学校図書館においても十分に配慮されなければならない。ただしこのような介入が権力による検閲に当たるのか、校務の責任者としての権限と捉えるかは難しい問題である。教育界全体で生徒児童の「知る自由」と学校図書館のあり方について考えるべきである。
2. 資料提供の自由に関して
既に収集した資料の提供が妨げられる例として(1)内部職員の個人的な志向による抜き取り、(2)差別用語・差別的表現を理由とした利用制限がある。(1)については、職員個人の物差しで資料の中立性や、政治・思想・意見の善悪を判断すべきではなく、図書館員としての職務を十分に自覚し常に襟を正す必要がある。(2)については「ちびくろサンボ」の絶版・廃棄事件、「ピノキオ」回収要求・閲覧制限事件がある。これらの書籍で指摘されている人種や障害者に対する差別の問題については、関わる当事者の意見を尊重するとともに広く市民が検討に参加することが必要である。資料の提供を一方的に制限することで市民の「知る権利」を奪い、問題点の判断を妨げることはあってはならないと考える。また(2)に関しては部落差別的記述を含む郷土史が人権を侵害するものに当たるのか、また部落解放に逆行するのかという議論がある。同和対策に敏感になるあまり資料を廃棄したり提供を制限することは、市民の目を差別解消から逆に遠ざけることになるのではないか。特定個人のプライバシーを侵害しない限り、タブーに蓋をするのではなく部落史研究の資料として十分活用され自由な学問的議論がなされることが必要と考える。
おわりに
自分が置かれた社会の諸問題について考え判断しようとする時「自分の知らない事実がある」のは恐ろしいことである。過去の歴史であれ現在進行形の事象であれ、私達市民が欲しい時に欲しい情報を得られる世の中でありたい。民主主義の根幹を支える「知る自由」を担保するため、図書館員のみならず社会全体が「図書館の自由」に常に敏感であり続けなくてはならない。
以上
【講評】評価:B
合格です。事例も適切。但し、図書館の自由については 1.どのようなことか 2.なぜ大切なのか、その点について説明出来るように学習を深めましょう。市民でもこの点を知らない人が極めて多いのです。利用者や関係者に説明できることが大切です。その場合、「宣言」にあるからというのでは説明になりません。図書館の自由は、民主主義社会における市民の知る権利を保障する目的があることに根ざして、歴史も含めて理解することが大切です。
なお、事例の検討では、一つ一つの事例について、 1.どの部分が問題なのか 2.なぜ問題なのかを分析し、それを図書館の本質や主権在民とそれを知る権利で支える図書館という視点で考察を深めてみましょう。
指摘された点を、もう一度ゆっくり考えてみたいのはやまやまなのですが、帰宅したらご飯作って食べて風呂に入って、寝る…が精一杯の毎日で勉強どころではないのがつらいところです。