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本当に「料理」が苦痛なのだろうか【読書メモ】



とても話題になっていて、図書館でも随分長いこと予約待ちをした本。

自由国民社
発売日 : 2018-11-02




結論から言うと、何かストンときませんでした。


『よくぞ言ってくれた』という言葉も満載ではあるのですが。



苦痛ならやらなければいい、外食やスーパーのお惣菜だっていいじゃないか、家族を巻込もう、などなどね。


わかっちゃいるけど、それが出来ないから苦しいんだよなあ



我家も決して『押し付けられている』というわけではないし、『あれやって』『これがあるから作ってね』と頼めば作ってくれることもありますよ。



では、私は料理をすることの何が苦痛なのかな。


料理そのものが嫌いというわけではないし。



やはり『ねばならない』感?。



毎日決まった時間に『ご飯何にしよう』から考えなくてはならない、縛られてる感じ?



作る物が決まって台所に立ってしまえば、多少手のかかる物でもさほど苦痛ではないのだけどね。


とは言いつつも『◯◯時には食卓へ』とお尻を叩かれるような気分で1人奮闘している時は、なーんかねアホらしくなってくるというか。




仕事の気分がのっているとき、ピアノに入り込んでいるとき、興味の向くままネットサーフィンしているとき…。



お昼の時報とともに『お昼何にする?』と声をかけられ、午後3時過ぎるとうっすらと頭のどこかで夕飯の献立が気になりだす。


夕方6時を過ぎたら『早く取り掛からないと!』と焦るこの気持ち。


自分のタイミングとは無関係に時間をブツッと切って別のことに取り掛からなくてはいけないのがイヤなのかな。





『言ってくれれば作るよ』『簡単なものでいいよ』ってさ、それを考えるのが面倒なんじゃん!!と何百回思ったことか。


午後の間に溜まったシンクの洗い物を片付けつつ、頭の中で冷蔵庫の賞味期限の短い素材から消費できるように、冷凍庫や常温の買い置き品も思い浮かべてメニューを考える。



翌日の弁当に入れることまで考えながら作って、ようやく出来上がったと思ったらテーブルの上が散らかってる!



夕方のひととき家族の皆がほっと一息入れている中、最も疲れる仕事に孤軍奮闘しているのはたいてい妻や母。



もしかしたら、私の苦痛は『料理』という作業そのものよりむしろ『食卓を家族で囲む』ためのたくさんの小さなことを自分だけが背負っているってことなのかも。







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