行ったことはありませんが、『台湾』『親日』と聞くたびに思い出すことがあります。
若い頃2年程住んでいた中米の地で、台湾出身の方お二人と知り合いました。
ひとりは現地に進出していた中国系企業で通訳をしていた若者です。
知り合ったきっかけは忘れましたが、遠いアウェイの地で出会ったアジア人、しかも韓国や中国ではなく日本からということに親しみを感じてくれたようでした。
共通の言語である英語とスペイン語、そして少しづつ勉強しているという日本語を交えていろいろな話をしました。
その頃の台湾について改めて調べてみたら、昨日亡くなった李登輝さんが総統になり民主化の動きが活発化し始めた時代だったようです。
台湾が抱えている問題などについて語ってくれたのですが、当時の私は政治的なことや歴史についての知識がほとんどなく、言葉の壁もあって深い話が出来なかったんですね。今にして思うと本当に残念なことでした。
もうひとりは当時60代を超えていたご老人。
なぜ彼の地に移住していたのかはわかりませんが、よく手作りのお豆腐を分けてもらいに行っていたの。
日本語がとてもお上手な穏やかな方でした。日本の統治下時代に日本語で教育を受けていたそうです。
戦後生まれの私には関係のないこととはいえ、日本が植民地化し言葉を奪っていたのは申し訳ないことだったと私が伝えると、自分は日本が大好きだよ、とおっしゃったことがとても印象深い思い出です。
外交関係としては問題があったかもしれないけれど、自分が接した日本人はみな礼儀正しく親切で、良い人ばかりだったので幸せな子ども時代だったし今でもその気持ちは変わらない…と。
戦後、今の中国の施政下に組み込まれてから中米に移り住んだのかもしれませんが、そのあたりの事情を聞く機会はありませんでした。
その頃の私は、バブルに浮かれた日本から海外へ飛び出したフワフワした女の子だったからね。他国の歴史や外交問題について深堀りするようなこともなく過ごしてしまいました。
今のようにインターネットを自由に使える環境であれば、あれこれ調べたりもしたでしょうが、発展途上国の彼の地には調べ物を出来るような図書館はもちろん書店らしい書店もありませんでしたからね。
これほど情報が豊富な今でさえ、やはり台湾の問題というのはどこか遠い話に感じてしまいます。
でも、地理的にはもちろんのこと歴史的心理的にも近くて親日の方がたくさんいるんですよね。
日本で大きな災害があると、真っ先にお見舞いの言葉と物心両面での援助を届けてくれる。
自国の利益にばかり目が向いている大国に翻弄されながら、知恵と勇気でその荒波に立ち向かっている小さな国(正式には『地域』と言うのでしょうか)。
大国の顔色ばかりうかがっていないで、こういう地域との関係をもっともっと大切にしなくてはね。
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