戦後75年ですか…。
昭和ヒト桁生まれの両親(どちらも健在)と、満州引揚者の祖母(30年前に他界)、ソビエト抑留後消息不明の祖父を持つ私。
小さい頃は戦争体験者も周りに大勢いて、戦争や戦後という感覚が割と身近なものだったような気がします。
一番強烈な思い出は、戦闘で手足を失ったり失明した傷痍軍人さんが駅前に大勢いて、アコーディオンやハーモニカを伴奏に軍歌を歌っていたこと
バス乗り場でバスを待つ間、子供心にも怖いような泣きたいような気分になり早くその場から去りたかったのをよく覚えています。
当時の子ども向け戦争関連本は何冊か家にありました。母の解説がいちいち具体的でね。
祖母は引き上げの苦労を直接話して聞かせてくれたことはありませんでしたが、乳飲み子含め5人を抱えて引き上げてきたそうですから、藤原ていさんの実話を読めばその苦労は推して知るべし。
むしろ直接尋ねることは遠慮しなくてはいけないのかも…という気持ちでした。
長崎・広島の原爆の日、終戦の日、お盆で先祖に思いを馳せること、夏休みで戦争をテーマにした本を読む、などなどが絡み合い夏と戦争は切っても切り離せません。
テレビの特別番組も増えますね。子供たち(特に下の子)は見たがらないの、怖いんだそうです。
昨夜も原子力エネルギーを利用した強力な爆弾を開発する京大の物理学者を描いたドラマが放送されていました。
なんというか『戦争に加担してしまう怖さ』に触れたこのようなドラマってちょっと珍しいなと思いました。
純粋な科学への興味から核物理学の研究をしていたはずの科学者が、アメリカやソ連を含む大国との原爆開発競争に巻込まれ徐々に疑問を持ち始めるのです。
結果的にはアメリカが実用化し長崎と広島に投下するわけですが、調査に入った広島で凄惨な様子を目にした青年が「自分達が必死に研究していたものはコレだったのか…」と衝撃を受ける姿に胸が痛くなりました。
これまでにも原爆投下による凄惨な結果や庶民のひもじい暮らし、南方部隊が強いられた過酷な作戦など、当時を生きた多くの方々が受けた苦しみを伝える番組はたくさん制作されてきたことと思います。
一方で、『なぜ戦争に突入してしまったのか?』を掘り下げた番組に触れることはあまりありません。
若者向けの本なども『戦争の悲惨さ』を伝えるものはたくさんあっても、当時の政治・軍部・世論などについてを知る機会が少ないことにとても引っかかるのです。
教科書の歴史記述について論争になるくらいですし、当時の政治家や軍の中枢にいた人々のご家族などが存命であったりする中では、まだまだ公にできないこともたくさんあるのかもしれません。皇室と戦争の関わりにも言及せざるを得なくなるかもしれないし。
でも、戦争っていきなり始まるわけではなく小さなことの積み重ねの結果だと思うのです。
今現在起きている政治不信や社会の空気の寒々しさ、人々が好き勝手なことを言えるように見える割にはなんだか全体主義な感じに怖さを感じてしまう。
ゆっくりと動き出した大きな歯車は簡単には止められない。
ぼんやりと生きているうちに、ハッと気がついたら後戻りできない世の中になっていた、なんてことのないように。
『戦争は怖い、ツラい、悲惨だ。だから戦争はいけない』。これは誰もが思っているはず。
政治家だって、個人レベルでは戦争をしたいなんて思ってはいないでしょ?(と思いたいね)
なのに国同士となると争いごとがなくならないのはなぜ?こぞって軍備を拡張するのはなぜ?
個人の思いと国家レベルの間にあるこの途方もない距離感に呆然としてしまう。
被害者目線で訴えるだけでは戦争を止めることはできないのではないか。
先の大戦がなぜ起きて、どうすれば違う道を選ぶことができたのか。
国民全員が加害者でもあったという意識で当時の歴史を紐解き真実に目向けなければ、近い将来再び同じことが起きてしまうのではないか。
戦争関連報道を見れば見るほどモヤモヤしてしまって仕方がありません。
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コメント
LEEちゃんおはよう!
お盆休みはいかがでしたか?
うちは普段と変わらない生活で、私は数日バイトが入って行っていましたが、仕事となると、さすがにここでも30度くらいあるので具合悪くなりそうでした。
本当にこの時期は戦争に関する番組が結構放送されているよね。
私の親戚でも満州引き上げ家族がいましたが、あまり詳しくは知らされていなかった
光テレビでは毎日そういった番組を結構残酷な映像も普通に放送しています。
私も彼もそういった番組は見ますが内容によっては一人で見ることが多いです。
先日見たのはガダルカナル戦についての放送や石垣島での強制疎開によってマラリアで島民の3割が命を落としたものなど・・、
色々見て感じたのが、日本が敗戦してこれだけの犠牲書を出したのは、人命の軽視がかなり影響したのではないかと思いました。
軍事、政治指導者が問題でしたが、軍隊にしても将官たちとの情報格差があり、下のものはよく説明も受けずに食料もままならず、たとえ病気になってもただただそこで戦うことを強いられる。
強い愛国心だけを植え付け、戦況が悪化すると国民の戦意が足りないからだと言いだし、一億総特攻を呼号する。
NOといえない時代それは「人は生きる時代を選べない」ということを象徴した時代だったのではと思う。
そう思うと、話はそれるけど今の香港と中国の問題も、そういったやり方に対してNOという国との争いが起きないとも限らないのでは?とも案じられる。
毎日暑いねえ。
そうなの。
NOと言えない時代、一億総火の玉。みんながガマンしてるのに…の自粛警察。
あれ?75年前と最近の社会の雰囲気似てない? ってちょっと怖くなってしまうんだよね。
コメント返信を書いていたら長くなってしまったので、本日の記事にしてみるね。