昨日の朝は兄から突然の電話。
実家の母の腰痛が悪化してトイレに立つのが精一杯という状態が2〜3週間続いているとのこと。
介護サービスを受けることになるかもしれないし、まずは介護認定を受けたほうが良いだろうと前日に市の担当者に来てもらったというではありませんか。
父も運転免許を返納しているし、近所のスーパーくらいまではなんとか運転していた母も今回のことでさすがに観念して運転をやめると決めたそう。
今のところは兄が仕事の合間に買物してきた材料で簡単なものを作ったり、出来合いの総菜や弁当を買ったりしていると。
それでもこのまま寝たきりにでもなったらお手上げだしサービスを受ける準備も考えた方が良いと思う、とかなり心配している様子。
そういうことなら今後のことを少し皆で相談したほうがよかろうと思い、慌てて実家へ行ってきました。
10年ほど前から腰を悪くしている母。
室内では家具につかまりながら、外では買物カートを頼りに歩いています。
それでもなんとか日常の家事はなんとかこなしている状態。
時々電話で様子などは聞いているのですが、相変わらずな様子で日常生活に困っている印象もそれほどなかったのでそれほど心配はしていなかったのです。
車で1時間弱の距離ですからマメに行こうと思えば行ける距離ですが、このご時世だしね..。
当面の食事の作りおきでもしてこようかと、途中のスーパーで食材を調達して訪ねてみると。
あれ?洗濯物干してるよ。
『今日は大分調子がいいから』とかなんとか。
持参したパンでお昼にしたけれど、なんかいつもと同じような。
『腰、酷かったらしいじゃない?兄貴が心配して電話してきたから慌てて来たんだよ』と水を向けてもいつもと同じような話をグルグルするばかり。
仮申込をしてあるサ高住から「空きが出ましたよ」と時々連絡をもらうけれど◯◯やXXや△△で踏ん切りが付かないのよね〜、とか、『要支援』認定なのでサービスをうけるにもなんとかかんとか….。
買物が大変なら生協さん頼んだらいいのに〜、とか、週に1〜2度だけでもミール配達もあるよとたびたび進言しているのだけど、使い勝手が慣れなかったり味が好みでなかったりとなかなか受け入れてもらえません。
結局のところ、歳をとってから生活を変えるというのは難しいのだと感じます。
市の高齢者向け有料家事サービスを頼んでもいいけど他人が家に入るのはお父さんがイヤみたいで..、なんて言うものの自分も多分イヤなのよね。
他人が家事サービスで来るとなると、かえって『キレイにしておかなくちゃ』なんて思ってしまうタイプ。
私が定期的に来て数日分の作りおきや下ごしらえをしていってもいいんだよ、と言うのだけれど『それなら助かるけど、今のところはそこまででもねえ..、あなたも忙しいのに悪い気がするし』と。
『気兼ねなら交通費くらい出してくれたら私は仕事のつもりで来るよ』とも言ったら、それなら…という雰囲気になったものの結局は現状維持で様子見ということになりました。
私が持参した材料で煮物を作り置こうとしたら『あら、今日の献立はもう決まっているし明日はゴハンいらないの』と断られてしまったくらい。
それならばと、予定メニューの下ごしらえだけして帰ってきたよ。
何事も自分でやらないと気が済まないタチで、父や兄に頼んでも自分の考え通りにコトが運ばないことがストレスになっているらしい。
でもねえ、痛い痛いと言いながら無理するのはそろそろやめて、少しずつ外注できるようにして欲しいのだよ。
なんとかできてしまうということは、それほど切羽詰まっていないということでもあるのかな?
それならそれである意味安心なのだけど、切羽詰まってから急に生活パターンを変えることになったら周りも大変なんだけどなあ…。
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