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今年の3.11。もやもやすること。



東日本大震災から10年目となる今年、3月に入ってからは震災関連の番組が多すぎて若干辟易していました。


誤解を恐れずに言えば、私はあの日のことをあまり思い出したくありません。

イヤでも思い出しちゃうけどね。




激しい揺れや津波の映像、破壊されつくされた沿岸部の風景、爆発でぐしゃぐしゃになった原発の構造物と人の住めなくなったゴーストタウンの様子…。


あの日の悲惨な映像がテレビから流れてくるたびに、心の中を引っ掻き回されるような気持ちになります。


時間をかけてようやく水と砂に分離した泥水が、ガシャガシャとかき混ぜられて再び濁ってしまった気分。


あの体験は忘れようがないのに「忘れるな忘れるな」と強引に押し付けられ、ようやくできた傷のかさぶたをむりやり剥がされるような気持ちでもあります。




私はこの災害で親しい人を亡くしたり長年住んだ土地を離れなければならないような経験をしたわけではありませんが、大きめの地震が来るたびにあの日のことが甦るし、3月に季節外れのどんより寒い日があると「ああ、あの日もこんな天気だったっけ..」と思い起こします。


散乱した家の中、ライフラインの止まった日々、大きな余震の恐怖、空っぽの商品棚にGSの大行列、近所の原子力施設に対する不安などなど。もうね、思い出すと胸がザワザワしちゃう。


東北に住む知人・友人達は津波で甚大な被害を受けましたし、その中には家族・親戚を亡くした友人もいます。





犠牲になった方を追悼する気持ち、つらい経験をした人達へそっと寄り添う気持ちを持ち続けることはもちろん大切。


被害を受けた地の現在の様子や原発事故の後始末はどこまで進みどのような問題が起きているのか、災害の教訓をどのように後世に残すかなど、記録し報道してもらいたいこともたくさんあります。


でもね、この時期にだけ『◯◯年の節目・区切り』と言う言葉で恒例行事的にテレビが大騒ぎして盛り上げるのはなんか違うよな〜と思ってしまうの。






新聞や書籍なら自分のペースに合わせてその事実と向き合えるのだけれど、テレビはスイッチをつけていればどんどん流れてきちゃうしね。


時間をかけて取材したであろう事実は短く切り取られ、インタビューされる方々から番組の意図に沿った言葉を引き出そうとする空気も感じてしまうの。


そして画面のこちら側で見る者に『思い出せ!』『忘れるな!』『悲しめ!』と迫ってくるようでね。






その土地に関わる人が皆同じように『悲しみを新たに』しているのでしょうか?


福島からよその土地へ避難したこどもたち全員が『幼い頃を過ごしたふるさとへかえりたい』と思っているのでしょうか。


毎日毎日悲しみと向き合い続けている人もいれば幼い頃のことは記憶から薄れ日常をごく普通に過ごしている若者もいると思うのです。


あの時にいた場所、年齢、目にしたものや何を体験をしたかで現在の心の持ちようは大きく違うはず。


ひとそれぞれ時間の過ぎるスピードも違うでしょうし、立ち止まったり再び歩き出したりするタイミングも違います。


ひとつの家族の中でも感じ方・考え方は異なっていることでしょう。





東北3県、その他の東北地域、関東地方…多くの人がそれぞれの震災の記憶を持っていて、皆がそれぞれの思いを抱えて生きています。




どうもうまく表現できませんけど『被災者』のイメージと『その他の国民』の震災への向き合い方を、十把一絡げにマスコミから押し付けられる違和感なのかなあ。





こんなことを書いてもいいのかと逡巡したのですが、10年目の正直な気持ちとして書き留めておこうと思います。





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コメント

  1. 髙橋二葉 より:

    LEEちゃんお久しぶり~
    次女ちゃんは少し落ち着きましたか?
    うちも二人とも離れて暮らしているから色々あるわ。
    お互い子供たちは感受性が強い年ごろだからしばらくは見守りたいね。

    震災の映像は私もいまだに泣けてくるから身内や友人に何かあった人は本当に辛いと思う。
    自分の身を守るということを伝えるという意味もあるのかもしれないけど、まだまだ引きずって辛い思いをしている人がたくさんいるはずで、乱暴に映像を流すのはどうかなそういった深く苦しんでいる人を取り上げるのも危機感にもつながるんじゃないかと思うけどな。

    • LEE より:

      ふたばちゃん、コメントありがとう〜。

      学校の方はとりあえず落ち着きました。
      完全に気が変わったというよりは嵐が去ったという程度なのだけど、もうしばらくは様子見って感じ。

      震災関連の報道については、身を守るための教訓を伝えるのにあのショッキングな映像や辛すぎる体験談がいるのかな?という思いです。
      後世に伝えることも大事なんだけど、まだあの記憶が生々しくて悲しみのただ中にいる人も多いので。

      早い時間の流れの中にいると、10年も経ったのだから大丈夫かも?という誤解があるように感じる。
      当時小学生くらいだった子は、あの時のショックの傷にようやく薄皮が被ってきているくらいだと思うの。
      そんな若者に当時を思い出させるようなインタビューとかも、ちょっとどうなのかな…と。

      遠く離れた場所で地震を体験しただけの私でさえ、こんなに辛くなるのだし、
      同じ映像を見ても当時とはまた別の感情がわいてきたりするのでね。

      中央のマスコミが『被災者』『復興』といった言葉だけでザクッと語るというやり方がイヤなのかも。

      あくまでも私の個人的な思いなんだけどね。

      制作者にもいろいろな思いがあってのことなんだろうけど、公共の電波を使って大勢の人に伝えるって難しいことだね。