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高校での勉強って何の役に立つの?



ちょっと前に話題になった藤巻健太(日本維新の会)氏の発言。

(1:54:20あたりから)


何言ってんのこの人? って、数学苦手な私でも思いましたよ。


金融・経済の教育ももちろん必要なんだけど、高校の数学でsin,cos,tanを学ぶ必要ないって..。


Twitterでの大炎上。釈明のつもりで、《車の安全な運転の仕方を知ることは大事だが、車の構造は知らなくていい》という例え話を出したものだから火に油を注ぐ結果に。


Twitterの短文では発言者それぞれの言葉の定義というか立ち位置が違いすぎて、書き手の真意が正確に伝わらない。揚げ足取りのような応酬になってしまい本質的な議論にならないのがもどかしいね。


話があまりにもちぐはぐであっけにとられてしまいました。





そんな大量のつぶやきを読みながらちょっと驚いたのが、「高校の必修からはずすなら三角関数より古文・漢文」と言っている人が多かったこと。


三角関数って学校を卒業してしまえば理工系や金融分野の仕事でもしていなければ全く縁がないのも事実で「三角関数なんて勉強したって生活の役に立たない」と言ってしまう人がいるのもわかる。


それ対して「そんなことないぞ!実は生活の様々なところに役立っているんだよ!」と力説している人が、なぜ「古文・漢文」なんて使わないじゃん、そんな役に立たないこと勉強する必要ない」って言ってしまえるんだろう。


古文・漢文だって高校で学ぶ大きな意義があるはず。うまく説明できないのだけれど、今自分が扱っている言葉の源だよね..。


…ってモヤモヤしていたら、内田先生のブログの中に答えを見つけたよ。

『複雑化の教育論』をめぐるロングインタビュー その1

『複雑化の教育論』をめぐるロングインタビュー その2

二つ目のエントリー(インタビュー その2)の一番最後

母語のアーカイブに深く広くアクセスできる能力を高めてゆくこと、それが言語集団の知的生命にとって死活的に重要であるということに、いま国語教育を語っている人たちはほとんど自覚的ではないと思います。だから、「古文漢文なんか教えなくていいから、英会話を教えろ」というような、言語の植民地化を歓迎するような発言をする人間が出てくるのです。



そうなのか! 1000年も前に書かれた源氏物語の読み方や、かつて公文書に使われていた中国渡来の文章について学ぶのは「母語のアーカイブ」を豊かにするってことなんだね。




三角関数や古文・漢文に限らず、高校で勉強することってほぼどの科目でも社会に出てしまえば自分の専門分野以外は全く無縁になってしまいます。受験であんなに必死に勉強したけど、この年になったら全てが忘却の彼方。


じゃあ、勉強したことが無駄だったのかといえば、そんなこともないよな〜って思うの。自分の中に作ったインデックスくらいは頭の片隅に残っていて、何かの折に『あ〜、そういえば…』ってなるじゃない?


「3次関数」とか「微分積分」、「酸化・還元」だの「○段活用」とか、勉強する時はこんなのなんの役に立つんだよ〜、と思うけどほんのちょっとでも聞いたことがあるのと、その概念に触れたことも耳にしたこともないのとでは、物事を考えるときの幅というか深さというのかが違うと思うんだよね。


細かいことは忘れてしまったけど、何を頼りにすればもう一度勉強することができるかってことくらいはわかるというか..。




うーん、何が言いたいのか自分でもよくわからなくなっちゃったけど、大切な勉強って今日明日すぐに役に立つことばかりではないんだよってことかな?






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