小学校のよみきかせボランティアを離れて数年がたちます。
興味がなくなったわけではなく、小学校の保護者で構成されるよみきかせグループにいつまでも居残っているのもなあ…と身を引いたって感じです。
機会があればまだまだやりたい気持ちはあるのですが、既存の市民グループに入るという気分でもないのよねえ。
こどもと本の関わりについては、いろいろ思うところがあるわけですが、たまたま自分の過去のエントリーが目に入ったことで当時の気持ちがグワーッと蘇ってきたのでリライトして再掲載。
「絵本専門士」の資格を持つ方がブログに書かれた何気無いひとことにミョーに引っかかって書いたものですが、今読み返しても同じ違和感は健在。
その言葉というのが、ある日の読みきかせ活動の感想としての
『よい子達の素直な反応から、シアワセをいただきました』
というフレーズ。
ヨイコタチノスナオナハンノウ????
お話の間は静かに耳を傾け、お決まりの箇所で笑ってくれたりということなのかな。
オトナ側が期待する定型的な反応を示す子に対しては喜びを感じるけど、もしそうでない反応を示した子には『ちょっと困ったな…』となるのだとしたら悲しいなあ、と。
学校のように同じ学年の子が対象だと読後の反応もだいたい予想の範囲内におさまるものです。
担任の先生も同席しているし、そもそも学校での活動のヒトコマですから、こどもたちも「わきまえて」いるのですよ。
一方、図書館のお話会なんかで赤ちゃんと幼稚園生又は小学生のお兄ちゃんが一緒に来ているような時、小さい子向けの絵本はお兄ちゃんにとってはちょっとつまらなくて、グズグズ騒いでおうちの方を困らせたり時には茶々を入れたりするんだよね。
そういう時に『よい子達の素直な反応』を得られなかったと読み手が感じてしまったら、その気持ちはお兄ちゃんに伝わってしまうと思うのです。
子ども達は、オトナが期待する正しい反応がどんなものか敏感に感じ取っています。
たとえ大人が意識していなくても、『正しい』感想の押しつけを感じ取って『読みきかせなんてしゃらくせー』と思ってしまったり、みんなと違う感想を持つことに罪悪感や劣等感のようなものを感じたりね。
そんなことが重なると、本そのものが嫌いになっちゃうのではないかと心配になってしまうの。
私の個人的な想いでしかないのですが「この本からこんなことを感じ取って欲しい」のような色をつけず、できるだけニュートラルにお話を手渡したいの。もちろん感情を抜いて機械的に読むとか、っていうことではないですよ。
どんな風に受け止めてもいいんだよ、って感じですかね。
『おもしろくなかった』『こういう話はキライ』でもなんでもいい、本を仲立ちとして少しでも心が動いたり気持ちに何かしらフックすることがあれば十分十分って思っています。
学校のよみきかせ会のときはもちろんのこと、自分の子どもに読むときでも読後すぐ感想を聞いたり、『○○だったね』などとこちらからイメージを誘導するような言葉はできるだけ避けるよう心がけていました。
なのに、私たちボランティアへの気遣いなのか読後に子どもに感想を述べさせる先生がいて本当にがっかりしたものです。
お話の世界に浸ったあと心の中でふわふわと漂う「何か」を大切にしてほしいのに、当たり障りのない言葉で体良くまとめた感想を口にする児童。
その日の日直さんだかクラスのリーダー格の子だが当てられるので、きっとお話を聞いている間も感想を言うための姿勢で構えているんだろうなあ、って思っていました。
読み聞かせの直後に生徒に感想言わせる先生、当然のことながら他のメンバーからもとっても不評でしたよ。
そんな気持ちで子どもと本の関係を捉えていた私にとって、『絵本専門士』という資格を持った方(しかも元教員さんというプロフィール)から出たよい子達の素直な反応という言葉に少なからずショックを受けてしまったの。
当時は、自分のムシの居所が悪かったのか、たまたま発達障害関係のニュース記事を読んだ直後だったせいで過敏になっているのかも..と思ったのですが、時間が経ってちょっと距離を置いて見つめ直しても同じ違和感がムクムクしてきたので、本日のテーマにしてみました。
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