山奥に移住して私設図書館を開いているご夫婦のはなし。
先日読んで久々のクリーンヒットだった1冊の話がこちらです。
予約してあったほうの本の順番がようやくまわってきました。ご夫婦の共著となっていますが、こちらの本は真兵さんが主役。
もう10年も配信しているという「オムライスラヂオ」での対談を軸に、真兵さん海青子さんそれぞれのエッセイというか思いの吐露がはさまりつつ..という構成。
最初と最後にそれぞれ内田樹先生との対談が配されていて、良い意味で予想外の衝撃でした。
世の中のことから自身のことまでふわっとした違和感を深く分析して言葉にする巧みさや、言葉や数字では測りきれない「あいまいさ」「なんとなく」に対する感覚の鋭さになんとも深く感じ入りました。
キーワードは「土着」「自宅をひらく」「セミパブリックな場所」。日本社会の息苦しさから脱出するために行き着いたのがこのような形での「移住」だったと。
効率化に疲れてよきものを模索すると1周回ってそこに行き着くのか…。
ちょっと事情は違うけど、地方都市郊外の農村地帯で暮らす私の田舎暮らし事情はといえば。
どこのおうちにも家の外と内の中間のような土間や縁側があって、近所の人がふらっとやってきてはなんとなく置かれているパイプ椅子にちょいと腰掛けてお茶飲み話。
数値では測れないけれど、長い付き合いの中でなんとなくお互いの立ち位置・役回りについて暗黙の了解があって、あうんの呼吸で粛々と行われる共助。当番制の雑事から年齢順のお役目、ご指名されての地域代表的な外部仕事まで、食うための仕事が圧迫される勢いで降ってきます。
若い人たちは大人になるとみんな出ていっちゃうので、地域の構成員比率は高齢化するばかり。
共助もままならなくなりつつあり比較的若い世代に負担が集中するので「もう地域の付き合いはしませんっ」って断言しちゃう人も出てきて悪循環。
プライベートとパブリックの境界があいまいな暮らしは、裏をかえせばドロ〜ンとした人間関係とも背中合わせ。「めんどくさ〜」ってことも多いです。
そんなディープな暮らしが待っているとは知らずに飛び込んでしまった「よそ者」の我が家は、地元ネイティブでもなければ「都会から移住してきた人」でもなく中途半端にムラに溶け込みつつある「変わった人(それなりに協力的」)と認識されている模様。
青木ご夫妻のように積極的に自宅を開いているわけではないけれど、地元のご近所さんからヘンテコな友人、意識高い系(?)の国際人まで、いろいろな背景を持った人達が不定期にゆる〜く出入りするセミパブリックな暮らしです。
突然やってくる異世界のお客さんたちの来訪に、子どもたちも私も「く〜、またか。もう勘弁して」って内心では思いながらも、そのおかげで自分の世界や考え方を強制的に多様化させられている感じでもあり。
多様性が叫ばれているのに、なんだか他者への許容度はどんどん低くなっている日本社会(主語でかくてすみません)。
人が人らしく生きていくにためには、ほどほどの「土着」とほどほどの「セミパブリック」、自然や農業とのかかわりが根付いている中での暮らしって結構重要なのかも。
週末の朝、読書記録からのとりとめのない書き散らしでした。スミマセン。
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