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子どもは40000回質問する【読書メモ】


子育て指南本かと思ったら『好奇心』そのものについて書かれたものでした。なるほど原題はシンプルに『Curious』。

好奇心は動物としての人間が本来持っている性質であると同時に、成長の中で育てていくものでもある。幼い子が発する『あれなーに?』『どうして?』に、大人は向き合う必要があること、またそのような『拡散的好奇心』に大人がきちんと答える態度がこどもの知的好奇心・知的探究心を育むことにつながると。

そしてAという質問にただA’と応えるだけでなく、その知識の在り何処を教えたり一緒に考えたりすることが大切。



なるほどと思ったのは、ある程度の知識の蓄積がないと好奇心は育たないということ。知識を詰め込む教育が批判され、ゆとり教育へ舵を切った学校教育に対して感じていた違和感への説明を与えてもらったような気がします。

ひとつの知識を得ることで『なぜ?』『どうして?』が湧いてくる。その答えを自分で見つけようとすると新たな疑問が湧き、さらなる知識が必要になる。そのような点と点の知識を繋ぎたいという気持ちが『好奇心』であり『探究心』だと。



また、こどもの好奇心を育てるには、それなりのコストやエネルギーが必要。家庭内や学校教育の場でそれを与えてもらえるか環境にあるか否かの『好奇心格差』が将来的に深刻な経済格差に発展することを筆者は懸念しています。

これは普段の生活の中で容易に実感できることで、小さいうちに豊かな経験をさせることやゆっくりこどもの質問に応えるには親の方にも経済的・時間的ゆとりがもとめられますよね。

特に我家のような田舎生活者が痛感するのは、文化・芸術的なものに触れる機会を持つためのコストです。本は図書館、芸術系は県立美術館や水戸芸術館などのお世話になっていますが、歌舞伎の幕見でも…とかロードショウではない映画とか、個人経営レベルの小さなアートスポットに気軽にアクセスというのは時間と交通費を考えると気軽には望めません。

結局経済格差の世代間連鎖ってこのような部分に根っこがあるのよねえ、とため息が出ちゃいます。

翻訳ものなのに大変読みやすく、軽めの論文といった趣で大変興味深く読めた一冊でした。



著者は社会学者の水無田気流さん。まだ全部は読んでいませんが、アラフォー・アラフィフ女性には『あるある!』と深く頷きながら読めること請け合いの一冊。

私が若かった頃は女性論・フェミニズムといえば上野千鶴子さんの右に出る人はいないという時代。

上野さんは、独身こどもなしで世の女性達の先頭に立ってバリバリ突っ走っている遠くの『大先生』というイメージでしたが、水無田さんは結婚子育てをしながら学者としての研究をしているせいか、様々な立場の女性達と一緒に共感し合いながら歩いているイメージ。

上野さんが私より15歳以上年上の団塊の世代であるのに対して、水無田さんは5歳年下。上野さん世代が獲得した均等法は水無田さん世代には当然の制度。バブル崩壊のあとの不況の時代に男性陣がしょんぼりしている中女性達がしなやかに力をつけていった世代でしょうか。

私はついつい世代論で物を言ってしまうクセがあるのですが(オットによく注意されます)、やはりどんな時代に社会に出たのか、また子育てをした時代の空気感というのは女性の人生に大きな影響力があると思っているので、この2人の社会学者の活躍ぶりというのは自分が通り過ぎてきた時代と対応させながら見てしまいます。

水無田さんは上野さんが築いたベースの上に立ちながらも、今の社会にあった女性の生き方について軽快にかつはっきり語れる方なんだなあという印象を持ちながら読んでいます。


映画の紹介から興味が湧いて予約までして借りてみたのですが、1/3くらいまで読んで貸出期限切れ。ブラックユーモアたっぷり面白かったのでそのうち文庫でも買ってみましょうかね。


毎日腹ぺこで学校から帰ってくる育ち盛りの人に、市販のお菓子ではお財布に厳しすぎるので何か簡単で安く作れるものを…と借りてみました。いろいろ心惹かれるものはあったのですが実践には至っていません。


お笑いのサンキュータツオさんによる珍論文集。『ヘンな』とついていますが、研究や論文というのは『研究者のなぜなぜどうして?』の探索過程をを第三者が読んで理解できるようにした報告書なんだよ〜ということを解説してくれたものです。

本の中でも触れていますが『論文とは正しいことが書かれている』と信じている人が世の中には多いのではないでしょうか。

自分やってもいない実験をあたかもやったように書いたり、結果をねじ曲げて記載するのは別として、『私はこれを知りたくて、このような調査(実験)をこのような方法で行いました。その結果分かったことはこれこれこういうことです。』ときちんと書いてあればよいわけで、何かが正しいとか間違っていると教えてくれる教科書ではないわけです。

もちろんその研究の結果として『◯◯はあります!』というのは自由なんですが、真摯に研究している人ほど自分が知り得た事実はほんの一面であり、まだ知り得ていない他の可能性や事実が隠れているかもしれないと考えるもの。

次になにかを知りたいと思った人が、その論文に何か新しい知見を加えて未知の部分が少しづつ埋まっていくことが研究の醍醐味なんだと言うことが、紹介されている『ヘンな論文』たちを読んでいるとよ〜くわかります。。

そうそう、いくつかのコラムの中で『研究には4種類ある』というまとめ方が印象に残りました。

まず、大きくわけて『人間とは何か』についての研究と『この世界とはなにか』に関する研究のふたつ。さらにそれぞれに『いまどうなの(共時的研究)』と『いままでどうだったのか(通時的研究)』のふたつに分かれるということ。

つまり『人間そのもの&現在』、『この世界&現在』、『人間そのもの&過去』、『この世界&過去』の4種類。

なるほどなるほど。そう考えると世の中の研究や本の内容ってざっくりこの4つに分けられるわね。


これは一緒に行った上の子が見つけてきたキャッチーなタイトルのエンタメ本(あるある系かな?)。