彼らの死刑執行に思うこと。【読書メモ】
7月初旬オウム真理教関連の死刑が執行された時に興味を持って読み始めたのだけど、読み終わらないうちに他の死刑囚も執行されたというニュースが入ってきました。
コレ読んでいたら、麻原彰晃にも家族があって、その子どもたちから見たら『お父さん』だったんだよなあってとても強く思いました。
私たちは報道された角度からしか彼らを見ることはできないけれど、その組織の中にいた彼女からは違う見え方があったのは当然ですよね。
もちろん、あれだけの事件を起こしたことは決して許されない。
一方でなぜそのようなことになってしまったのかだけは、あらゆる角度から検証して欲しいと思うのです。
事件の中心にいた13人ものメンバーが死んでしまった以上さらなる真相究明は難しいでしょうから、その点だけは残念。
それにしても、当時10歳かそこらの子どもだったのに麻原彰晃の継承者のように扱われ学校に行くことさえままならなかったというのは考えさせられます。
自分の育ってきた環境や周囲の人間の過ちについて考えるためにその環境から抜け出して学びたいと思っても、その出自がバレると入学お断りとはね。
これって教育を受ける権利という点で憲法違反ではないの?
学校が騒ぎに巻込まれ、他の生徒の安全が脅かされることを恐れたのかもしれませんが、このようなケースでは国や自治体は何も助けてくれないのでしょうかね。
親身になって彼女達を支援してくれた元信者や弁護士の方もいたということで、最終的には大学を卒業することができたようですが相当の苦労があったことでしょう。
刑事事件としての検証だけではなく、彼らがなぜカルト団体になってしまったのかを究明したり、残された子ども達や脱退して新たに生き直そうとしている元信者のサポートなど、社会的な問題として感心を持ち続けるべきだなあと感じました。
話は若干変わりますが、オウム真理教関連の報道や新興宗教の強引な勧誘など、宗教団体のイヤな面ばかりがクローズアップされているせいで、我家の子どもにとって『宗教=胡散臭いもの』というイメージが定着しているの。それはそれでどうなのよ?
本来は私たちの心の平穏の為に生まれたはずだし、そんなに大袈裟でなくとも何かしらのポリシーや信念など誰もが心の中でよりどころにしているものってあると思うんです。
私はそれこそが『宗教』だと思っているんですよね。
多くの人に広めたいとか仲間を募ろうとすると、組織になり関わる人が増える。
そしたらその組織を維持するために高額なお布施やら洗脳ともいえる強引な勧誘など本質からどんどん離れ、気が付いたら人を殺すことも正当化されてしまう不思議。
個人個人が心の中でそっと信仰するだけではダメなのでしょうかね。